紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


思い出すこと

soulkitchen.hatenablog.com

昨日の夢で見た実家はげんじつには取り壊されてもうないんだよなあと思った。川の氾濫にやられたため、建て替えるのだという。両親たちは仮の住まいへ。住所だけは知っているアパートらしき建物をわたしは見たことがないから、そこを実家と呼べるのか疑問が残る。取り壊された実家の前にも借家に住んでいて、かぞえてみればそちらの方が長い年数すごしている。一番短く住んだ家を実家と思い、夢にまでみる。しかしそれももう存在しないのだ。

昨年秋から何度か実家に戻り片づけをした。自室からは小さな段ボール2つぶんだけ、持っていきたいものが出た。卒業の文集とかアルバムの類に未練はないけれど、たぶんずっとあとに必要になると思い、これだけは置かせてほしいと頼んできた。あーこのままだと愚痴になりますけど、年始だったか片付けするぞモードのわたしに、両親は動物園に行こうと誘ってきて、まじかよと思ったのだった。弁解すると、正月でカピバラ? がゆず湯? に入るとか? イベントがあったからなんだけど、さそわれるのは嬉しいから行ってしまいたかったのだけど、固辞した。かれらは意地悪でもめちゃめちゃな好意でもってそう提案したわけではなくて、そこに何らかの意味を見出そうとしてしまう自分が嫌であった。30を過ぎても子どもとしてあつかわれたがっている。でもそこに求めているものはない(さらにわたしがおとなだからそうされないわけではなく、子どもの時分でもそうされていたわけではないのであった)。それで、片付けが中途半端に残ってもしょうがないよねと言えてしまうし、残りはけっきょく実家にいる人たちがやってくれるのだろうけど、自分でぜんぶやりたかった。わたしはやった(えらかった)。

思い出すことはいくつかあって、小学校中学年くらいに妹にしてしまったひどいことがあって、それはばれて怒られたし、今も妹にあんなことあったよねと(過去のこととして)言われたりもするが、それがどうして起こったのか、わたしがどんなに困っていたかということを当時も今も話せていないのだった。わたしがしたことが確かにひどいのだけど、そこに至る経緯、10歳にも満たない子どもの気持ちがいまだに救われていないことをわたしは悲しむ。大人がみっともないけれど、そのことについてかれらを恨むことをわたしはわたしにゆるす。ゆるした。それはここ半年くらいのことで、妹はいまだに自分(たち)が恨む側と思ってるんだと思うな。

なんだかそういうふうに踏みにじられていたと思い起こすことがいくつかあり、今さら掘り返す気はないのだけど、あれやこれやひどいことをされたし(した、という可能性ももちろんあるのだけど)、(伝えるかどうかは別として)怒っていいのだという気持ちがあったりする。思い出語りに、むかし母は(父は)こうだったよね、なんて妹と話したことがあるのだけど、彼女は、(われわれは)怒られてもしょうがなかったよね、やんちゃだったよね、みたいな落としどころになっているみたいで、それ以上は言えなかった。