紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


あらがえない

soulkitchen.hatenablog.com

 

最前のようにたとえば一日寝てしまった日があって(気圧の低下で眠くて、ってことだけど)、寝つぶしたと思い、わたしの人生が一ミリも進まなかったとか考えてしまう。でもそんな、進むべきものが、というか、人生って進むものなのかという疑問が生じる。何かを為しえた(ように思う)日と何も為さなかった(ように思う)日をならべ、重みづけをし、価値づけるのは傲慢な気がする。しかしそれでも一ミリでも進めたい(進みたい)と思ってしまうのは、人間の成長とでもいうような褒められるべき(この言い方もどうなのか)ことなのか、それ自体が"成長”病とでもいうべきような誤った価値観なのではないか。

というような狭間を考えはじめることによって、またわたしの人生が一ミリも進まない日ができあがってしまう。振り返ってみれば無意味ではないのだろうが。けっきょく、そんなことを考えないで邁進していくことが、ほんとうは最善のような気がしている。しかしその側にはいけそうもなく、逡巡しながら、"人生を進める"手を考えている。考えるな、手を動かせ、とも思うのだけど。