紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

どうしちゃったんだテレビ

最近のことを書きます。ねむい。蒲団の中から。端折るというか書くほどでもないという感じでNetflixがやってきました。同居人がHuluから乗り換えたそうです。少し前に購入したテレヴィジョンにはNetflixのボタンが付いていて押すだけでNetflixが観られてしま…

冬ですね2016

あーやっぱり間違えたかもしれない。早すぎたかもしれない。とかなんとか。間違えた云々は自身のコミット具合によるのではと思ったんだけどだめだめコミットする必要あるのソレとか思ってしまう不遜。 またかくっと寒くなって起きたはいいけれど蒲団から出ら…

わたしの人生、おそらくは

演劇の感想、まだ書きたいのだけどなんやかんや腰が重く、考えがまとまらず、そうこうしているうちに全部忘れてしまってわたしの紡ぐ感想は単なるわたしの考え披露になってしまうかもしらん。書き出さないと動かない文章で、まあそれは置いておいて今日のこ…

(2)

この舞台の感想をながめていると、「観て以降」という言い方が散見されて、つまりのひとつの歴史的事柄のようにあつかわれている。それはわたしも同じで、これを観たあとのわたしはそれ以前のわたしではない。それはどんなことでも当たり前のことなのだけど…

(1)

もやもやする、とかれは言った。でももやもやするのがわかってるもやもやと、予期せずもやもやするのとは違う気がする、とも。単純にこのことだけを考えると、もやもやにも差異はあるということか。もやもやというのは一般的には解決すべき問題であるとみな…

言葉よ生きろ

上手でない文章ってよいなと最近思っていて、それはわざと下手に書くとか思いがなにより大事ってことではなくて、それなりに体裁は整っているというか。なんだかそれは文章と時間の問題な気がする。書かれている時間と書く時間、読まれている時間と読む時間…

また間違えている気がする

たぶんまた間違えている。間違えてしまった。間違え続けているし、そのまま明日以降も間違っていると思いながら間違っている道を歩いてしまうだろう。わたしの人生の大半がそんな感じで間違えてきてしまっているので安定なのだけどやはりそれでは苦労が多い…

持たない男

そういえば知り合いにものを持っていない人がいて、ミニマリストというわけではなくて、とにかく生活が下手なひとという印象。久しぶりに会ったら、腰が痛いと言っており、それは寝袋で寝ているからだとピンときた。おそらく五年は一人暮らしをしているはず…

美術館、紅一点

薄曇りの美術館の三番目の休憩室で座っていたらやってきたもうひとりがみっつあけて座り、わたしはにやりとした。床から天井までの大きなガラスを前に交換する小さな言葉たちを青い静寂がていねいに拾っていく。コーティングされた時間と言葉の中でゆらゆら…

大道芸人に冷え症はいない

雨が降りました。暗い明け方に目が醒めた時はまだ雨の音がしていて夜と雨に二重に閉じ込められたかん、もう一度起きたときには明るくなっていた。午前中の公園は曇り空にところどころの紅葉が湿気をすって輪郭をはっきりとさせていた。カメラを忘れてきたこ…

ホルモン様には逆らえない

ブログを書くタブだけが増え続けている。階段を踏み外すように寒さに落ちていって冷え症の足先が冷たく動くのは億劫なのだけどその一方でこの一年くらいで一番元気になっていて、季節のせいかなにかもろもろが回復してきているのかなんにも関係ないのかわか…

最終的に僕たちは最終的を知らなくちゃ

風が強くて出たくないと思っているうちに随分寒くなってしまった。来なくてもいいなんていわれていた予定は行かなくして、ちょっとそこまで。自転車道で三人組の小学生たちが「もうちょっと行ったら駄菓子屋があるんだぜ」なんて言っているのに出合って着い…

少しは流れにさからって

どうにかしようと思って隅に本を積んでいる。段ボールを用意してとりあえず入るだけ入れてリスト化もしちゃったりしてそれでも往生際悪く封をしないである。少し置いておくだけで埃がつもる。どうせ忘れていたものたちなのにいざってなると名残惜しくこの作…

白い午後

正午すぎの電車は白いひざしをうけとめて車内はあたたかく三十分も乗るうちに乗客は風船みたいにふくらまされている。それは希望とか将来の展望というような根拠のない自信によってだが、穏やかで明るい日光はそれだけの説得力をわたしたちにあたえる。ぬく…