紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ホームランバーの当たらない人生

ホームランバーってむかし銀紙につつまれてなかったっけ、って何人かに言われる。21世紀のホームランバーは箱入りだ。

メイトー ホームランバー バニラ&チョコ 45ml×10個×8箱

それでも食べたあとに「一塁打」「二塁打」「三塁打」「ホームラン」があり、一箱に一塁打が3本、三塁打が1本入っていた。これはかなり大盤振る舞い確率のような気がしたが、それでもわたしの棒にはなにも書いてないのだった。

きっと当たらないだろうと思うことにも当たらなかったことを残念がることにも心は動かず、当然と受け入れてしまっている。受け入れることに慣れてしまっている。不運ではなく、当たり前だ。わたしは、なんでもないのだ、というふりをしている、が、ふりをしすぎてそれがわたしになっている。

やってきたことしかできない、と思う反面、すべてを環境にゆだねてそのときがきたらできる、という気もする。現にそういう場面もいくつかはあった。まあ、両方あるんだろうけど。準備を万端にしておきましょう。

おれは○○の袋小路だ

雪が降るとか降らないとかゆって、降った。今日もしんと冷えている。冬はあたたかいシーツとニセ科学の毛布と着る毛布と湯たんぽで寝ている。電気毛布は今年と去年は使っていない。この冬はずいぶん暖かいななどといって、湯たんぽをしまうこと一度、寒くなって出してふつか、でもいいでしょってまたしまって、冬を手ばなしている途中のここにきて雪だ。少し前まではずいぶん早い桜が咲いていて、あんまりおおっぴらに言えないけどこっそり花見をしたのが散って、そのうえに雪。めずらしい光景。この週末はやあウイルスだやあ雪だと忙しい。このまま死ぬのかもしれないという気もする。いつどこでウイルスをもらってもおかしくないし、だれかにうつしてしまうかもしれない。偶然にも最近『ぼくの地球を守って』を読み直している。これは小さな基地で病気が流行ってみんな死んでしまう漫画なのだ。

不要不急の外出はひかえよというが、人間の活動なんてほぼほぼ不急不要なのではという気がしてしまう。そして人間は集まることで社会や文化を生み出してきたのだということを真面目に考えてしまう。犬や猫は流行性の病気に対して何かするだろうか。人間だけが惧れたり、見えないものを敵と見立てて戦おうとするのではないだろうか。

先にも書いたけど、同居人は現在テレワークでずっと家にいる。たまにわたしに呼び出されて外食に出たり、近所のスーパーに行くくらい。だからウイルスと出会う可能性はかなり低く、かかるとしたらわたしがかかったときなのだろう。でもそこからうつす相手はいないから、おれはコロナの袋小路だーって叫んでいた。そうなればウイルスもお手上げだ。この世界の片隅でひっそり息をしながら生きる。

状況は日々悪くなっているようで、花見も美容室も大手をふっていけない感じ。前の週末は映画館に出かけたけど、この週末だったら諦めていたかもしれない。明日できると思っていたことはできなくなっているかもしれない。なんていうと、意識の高い心構えにも思えるが、そうでない状況になってほしいよ。

また家にこもるための物品はたまた通常の買い置き品をそろえながら、非常時になってからそなえるのでは遅いとつくづく思う。平時から非常時のためのシステムを準備しておく(十全でなくても)と楽だ。とはいえ、わがやには缶詰を昼食に食べてしまう在宅勤務者がいるので注意が必要なんだけど、非常時のものもずっと持っていては腐ってしまうから回していくつもりで備えなければ。「アリとキリギリス」のことをたまに考えるんだけど(ブログでも何度か書いているはず)、自分はぜったいにキリギリス側の人間(つまり、その日暮らしのちゃらんぽらん)だと思っていたんだけど、あれは仕事のたとえではなく、準備のたとえなのかととらえ直せば、アリ側の人間なのかもって思ったりもする。