紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ノックしてる?

急に寒くなった。あんなに意気揚々といってたのにアプリで日記をつけるのをやめてしまった。同じくらいに英語学習のアプリもやめてしまった。後者のアプリにてランキングに勝手に放り込まれて競わされるのがほんとうに嫌になってしまった。それは文法中心のやつで、つぎにわたしが得たいのは旅行程度の英会話なので学習方法を見直そうと思ったままになっている。日記はけっきょく紙にもどって時間のあるときにノートに書いている。計画をたてて時間をつくって達成するっていうことが、できないなりにできるようになってきているのを感じる。なにごとも慣れではある。ゼロからうむのは大変だというのも当たり前で、忍耐に慣れるみたいなことなのでは。と思うと、場当たりで生きてきたなとおもう。そのへんがここしばらくの気づき。

と同時に現職にどうしようもなく飽きていることにも気づく。ふっと「もーむり」がおりてきて、そうするともーむりなんですよね。慣れを必要なことと感じているし、べつの軸で慣れを嫌っている。今までの職の中ではまだ楽しいし、周囲の人にはめぐまれている。自分の御しかたもわかってきたし(30年以上かかるのであーる)、狡猾にやりたいとは思う。

感染症のアレはどうなったんだと思いはするけど、3度目のワクチンを打って、やっぱり寝込んで、最近はイベントや復活してきた音楽のライブにも足を運んでいる。行けるなら行けるだけ行きたい性分で予定を入れてしまう。そういうところは変わらない。変わりたいと思っていないからなのでは。

好きな作家、たぶん四半世紀くらい気配を感じていた作家が亡くなって、たいへん悲しかった。それからしばらく暗めな色の服を着ている(でももう2日で尽きてきてわたしの服たちふざけすぎやろという気持ちだ)。まだ若いと思っていたけれど、それはいつでも起きる可能性がある。幸い、たぶん幸いなのだろうけど、イベントで何度かご本人をみたり、サインをもらったりしていたこともあり、そういう後悔は少ない(ぜんぜんあるけど)。でもものする人として会ってみたかったと思う。思ってるんだよ。ワアー。まだぜんぜん何者かになりたいよーーーーー!!!!! ってなった。

でも、有名じゃないだけで何者かにはなりつつはあるという実感も一方であったりしてわたしの人格ややこしいのであった。職場で(はたまた趣味で)絵や文章をかくこともあり、長じているといってもいいのかもですね。みたいな気持ちにはなる。こともある。ますね。