紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


私の場合

今日はなにを書こうかなと考えて、書けそうなことのメモはいくつかあるのだけど、記事の書き方についてもなんだかあるらしいけど、わたしの場合はけっきょく書きたいことを一番書きたいのだった。

 

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photo by VinothChandar

 

ちょっと前に夏のイヴェントの打ち合わせがあった。昨年も行ったやつだったから、みんな知った人でオヒサシブリだった。この会の一番の代表はN先生で、わたしを誘ってくれたのもN先生だ。はじめに各々近況をとのことだったけど、わたしの近況はなにもなかった。

最近していること。仕事に行き、映画を観て、本を読み、どこかへ出かけて、ファンキーな同居人がいて、たまにブログを書き、眠る。そんなつらなりのどこを引っ張り出していいのかわからなかった。一年ぶりに会う人の実家の家族のこととか職場のこととかききたいだろうか?(って考えてしまうのが大人げないんだよなとも思い、それはそれで自己嫌悪。(でも慶弔も昇進もないんだよ))

そんなことばかりだから、かれらとは昨夏の一週間ほどをともにしたにもかかわらず、わたしのことなぞ何も知らないのだろうなと思い当たる。その一方で、出自やら思想やら技術やらはどうあれ、一緒にいるそのときを心地よく過ごせればそれ以上を気にしないというような気もした。口でなにを説明しようとも、一緒に過ごす時間がすべて。わたし(達)は昨年とても楽しく過ごした。それで十分だった。

しかしまた一方で(いったい何方あるのかしらん)、その楽しい時間は非日常であって、時間をおいて日常で出会ってしまうと、職業とか学校の専攻とか属性みたいなものを手掛かりにしないとわからずに、お互いに盲みたいにおそるおそる手を伸ばし探り合っているような感じがした。気のせいかもしれないけれど。イエ、でも、わたしは手を伸ばしはしなかった。こういう場で他人への興味があんまり発揮されないのだ。

そうそれで、昨年にああこの人苦手だなって思った人もいて、まあ今年もヨロシクなのだけれど、顔も見たくないっていうのじゃなかったから、冷静に観察。こっそり目と耳をこらす。どこが嫌なのかというと、たとえば全員で話してるときはのってる風なのに、あとで「あれはないよねー」とか「あたしは嫌いだわ」とか言っちゃう感じ。不満があって、なにが楽しいんだろうって思ってしまう。それは去年もこんな感じだったなーと思い出す。

でもしかし、嫌なのなら今年は参加しなかったらいいはずで、仕事の日程を調整し、事前の打ち合わせまで来るその熱意はどこからと思ってしまうと、がぜん彼女に興味が出てくる。悪い人でないのなら、仲良くなれるだろうか。

しかしだいたいにおいて、わたしの勘はひどい鈍ちんなので、予想ははずれやっぱり相容れないひどい女だってなるかもと保険をかけながら、まあでも気持ちの扉の鍵をひとつくらいは外してみようかなと考えているところ。素敵な夏になりますように。