紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


中年通信

なぜか脚や腰がかゆくて搔いているんだけど、心当たりがなくて、それは、冬が、くるのです。高保湿の化粧水をほたほたはたきます。という通信。

 

soulkitchen.hatenablog.com

たぶん前提がたりてなくて、『チェンソーマン』のアニメのエンディングが毎回ちがうアーティストなんだけど、真部脩一(さん)の曲があって楽しみなんだよねみたいな話だったりして(地味にこの脩の字なんなんだ出すの億劫だぞと思って真部真部言ってしまうのです)。そう考えると、最近まったくアニメを観てないなぁと思う。ティーンのころはすがるように観ていたけれど、その中に現在も残ってるようなものはほとんどなくて、あの時間と記憶はわたしだけのものになりつつある。し、あやふやになりかけている。なんてこった。

10月はぐわっとすぎた。遊びに行ったし、仕事もがんばった。ロボットになったみたいだったし、自分の好きなことを大事にしたりした。敬愛する作家が亡くなって、暗めな服着るキャンペーンはまだ続けているけれど、休日とか家にいる時間は免除している(自分に甘い性格)。出勤にかかわるときだけ追悼をアピールしている(誰に)。出勤を、労働を、自分のおおやけと思っている節がある。「黒いですね」と何度かいわれたけど、「まあ、はい」とか「そういう気分ありますよね」とか言っている。ふと、もういないんだと思うことはあるけれど、知人ではないし、日常的にメディアで見ていたわけでもなく、へんな喪失感だ。はたしてわたしはかれをうしなったのだろうか。副次的に、自分は小説を書きたいのだとわかった。それを自分のすきな人(たち)に見てほしいのだ。話すのは苦手だけど、文章を介してやりとりできる。空想とか理想について。かくして、アラフォーのワナビーだ。ワーォ。どうなるかわからないけどやってみないとずっとむなしいままなんじゃないかと感じている。


小説じゃないけど、短歌を送って読んでもらった。おもしろかった。作品は人目にふれたら半分は他人(読者)のものだから、あとからワーワーいうのはちがうと思っていて、でもじぶんはこう思ってつくったんだよねーということもいいたい気もした。まあいわなくてもやっていける性格なのだけど。
この歌にかんしては、読んだ人が「だざい」と「みしま」、そのふたりの関係をどう考えているか(または考えていないか)で受け取り方が変わってくるということがわかった。それが下の句にも影響するだろうので、なんとも判別しにくいことになるのかもしれない。……単なる景としてとれるのかとか、気になったりもする。自分が短歌で(この歌で)なにを表現したいのか、どう読み手や世界にアクセスしたいのか、みたいなことを考えた(当然のように考え中)。