紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


くまのあし

夜歩きながら聴く相対性理論が最高にえもいんじゃ!! と思う秋。シフォン主義、よすぎじゃないですかって15年前か。という気持ちで、なんていうか、新しいものが頭に入ってきてなくて、音楽も俳優も。好きなものが10年前からあまり変わっていないような。いま好きなものも系譜のものばかりだしという気もする。と思いながらも、人との関係や部屋の様相なんかは変わってきてもいるし、まあそりゃそうですなという気持ちである。ずっと足踏みしてんのか。

おそるおそる生きてみて、無理してやらなきゃと思ってたことが、やらなくても問題なくて、というのは怒られたり生死にかかわるわけでもないことがわかって、でも同時にやらないとなにも返ってこないというこの、虚無感というか寂寥感というか、生きるってすげーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー自己責任だねって感じがある。学校教育みたいなもの、途中まで用意されていたレールみたいなものに急に裏切られた感じがある。ある??? そういうのが好きでなくて、反抗していたはずなのにそれをめちゃくちゃ内面化してるじゃん自分、みたいな。そうではないよと示してくれていた人もちょこちょこいた気もするけど、受け入れなかったというか、受け入れられなかったというか、自分で経験しないとなにもわからないんだったよわたしは。と。まあでもそれをふまえてなんとか楽しく生きてやろう。とは考える。

同居人の誕生日があり、自転車を買ってあげる。くまの足!🐻🚲(関係ないけどメール等で絵文字を乱発する中年の気持ちがというか生態が実感されるようになってきた) われわれもアラがフォーであり、残りの人生……みたいなことを考えはじめると(気が早いけども)、この自転車、たくさん乗ってくれよな!! と思う。のが切実。さ。増して。5年後、とか、10年後、とかいって、そのときの年齢をかぞえてしまう。10年後はアラがフィフなわけだけど、同じ感じで生きているという気がしない。それはいい意味で。いい意味にしたい。というわけで。