紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


お目出度き人

最近はお風呂に入る前に夕食の準備をできるのでえらい。

 

えらいんだ最近は。

 

 

そもそも性別というものがよくわからないからか異性愛も同性愛もぴんとこないので実はLGBTとかもよくわかっていないのだった。

 

自分は女性(男性)だ。だから男性(女性)を好きになるのだ。

 

も、

 

自分は男性(女性)だ。だから男性(女性)を好きになるのだ。

 

も、まず性別という枠で区切ってるのだからおんなじじゃんって思うのだけどどうでしょう。

 

と思うのだけど、わたしは女性(ということになっている)で、今のところ男性(ということになっている人)としかつきあったことはないんだから異性愛者なんですかね! 女性(ということになっている人)とつきあうチャンスもあったんだろうかみたいなことを考えているとどんどん深みにはまっていってしまう。

 

どちらにせよ、次の恋愛経験では別の異性または同性とつきあってるかもしれないし、絶対なんてないんだし。もしかしたらあなたは同性愛者なのだけど、最初につきあった異性とめちゃめちゃ楽しくて、結婚とかしちゃってそのまま生涯を終えるかもしれないのだし。なんて可能性を想像したりする。他人の人生の可能性!!!

 

(でも同性愛者の手記みたいなものによればどうしようもない違和感を感じたりするようなのでそんなにお気楽なものではないのかもしれないね。)

 

人びとがうまれつき(はたまた後天的なのか)自分を異性愛者だ同性愛者だと強く感ずるのであれば、わたしはその反対のふわふわ人間なんだろうなと思う。めでたい人種。めでたい愛者。愛でたい愛。なにいってんだ。

 

女子にはわりと問答無用で甘いところがあり、それはもしかしたら年長男性が重んじられる社会に対抗しているのかもしれないなぁとか思って、そしたらわたしはおじさん差別をしていることになる。でもわたしの女子への甘さもステレオタイプみたいなとこあるし、そしたらわたしはこの社会の体現者であるなぁとか思ったりして、考えない方がいいことを考えている気がすることで。