紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


(秘密を持ちたまえ)

昨日話した相手とも何にもない顔をして会う。大きな会社ではないから情報はすぐにまわる。それにみんなとてもおしゃべりだから。おしゃべりという性質について、悪いものではないと思うけど、だいたいが不都合に通じるから悪口めいてつかってしまう。きいたことを右から左に流してしまうのは、悪気がないようで実は「自分」の検閲を放棄しているから賢くはないと思う。情報をそのまま流すか、自分でとどめておくか、結果どうでもその決断を引き受けるのが人間の善なのではないか、という気がしている。しかし強くない集団では、たとえば垂直関係が弱い集団では、情報を共有しあって個の差異をゼロに近づけるのが正義みたいになりがち、というようなことをずっと感じている。そのとき、わたしたちは、のっぺらぼうだ。秘密を持ちたまえ、と思う。それで集団が円滑に回らなくても、あつかいにくい人間だと思われても、そうしてひとりの個人としてすっくと立ちたまえ、と。それを自分にだけ言っていた。啓蒙、というとやっぱり偉そうだけど、周囲の人間を賢いと思えず、でもそれを伝えようとしてこなかった時点でなんでもわたしの負けなのだ。そんなことは何年も考えていた。