紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


8 月 33 日

という言い回し、妥当かどうか考えている。使い古されていないか?

まあでもいいのか。今年の夏休みは皆さん、少し、長かったということで。平成最後の夏だと思って、今年は無理いって休んだりしたけど、いつだって、20代最後の夏だ、とかいって、わたしは夏をどうにかきらめかせようとしてたから平常どおりだった。来年だって(新元号)元年の夏だー! とか言って思い出にしようとすると思う。

たまに涼しい日があって、ちょっと厚手の服でも着たくなったときに見つからなくて、そういえば衣更えのときにしまっちゃったと思い出して、たしか7月始めくらいに汗をかきながら入れ替えたから、あれから二か月でもうあの行為を後悔している。たったの二か月だった。短くない? 涼しいことが多くなってきて少し寂しくなったのか、人のために働きたくなったりしてる。夏の間は誰の助けもいらないと思ったのに、今は他者とのつながりを求めはじめている。わたしは気分を入れる器でしかない。

 

メルカリ、けっきょくどうなったのかというと、まあまあ売れてわがやから日本各地にものが運ばれていてちょっと面白いと思うけど、評価の★の数を数えれば20にも満たないから、効率がいいとは言えない。しかし古本屋に持っていくのに比べれば金額は莫大である。とはいえ稼ぎたいわけではなく、楽しみたいのだよねーとか思って、値下げ希望の人になぞなぞを出したりしている。みんな、一休さんになったつもりでかかってきてほしい。

 

 

あとなんか、トゥィッターをfeatherっていうクライアントから見てるんだけど、アプリの調子自体がおかしいみたいで、出る頻度が下がっている(とはいえ不便なので簡易的に同じアプリの無料版を入れたけど勝手が違ってやりづらい)。いざ使えなくなってみると、自分がどれだけツゥイッター見てるんだよと思わされておののく。手持ちぶさたのときはとりあえず見てたし、情報の検索もオンタイムなものだったらチゥィッターで検索して飛んでいた。だいたいの情報がSNSに紐づけられているの未来感がある。それ以外のネットの情報はもっさりしている。代替でInstagramをみたりするけど、やっぱちょっと違うんだよねー。そういえばダルマのギークっていう毛糸がかわいかった。