紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


そだねー

同じ著者の本を2つ、かわりばんこに読んでいて、混乱しながらもより理解が深まるなんてことが。あるんだろうか。どっちを読んでいるのかわからなくなって、結局同じことを書いてあるのかもだけど、それでも読めてしまうのだ。

形式みたいなこと、歴史のこと、人間のことが書いてあり、でも書いてあるものなんてほとんどそんなことしか書いてないんだから。

片方を昔に読んでいて、でもその時は難しすぎてただただ怠いと思ったんだったろう。それが今回は、わかる、わかるぞ、わかりうる、なので驚いている。書かれていることは変わっていないはずなのに。なぜか飛び火して穂村弘のある著作についても少しだけ理解が進む。

理解が進むといったって、わたし個人の中で起こっていることで、わたしがいなくなったらその「わかった」は無に帰す。わかったこと、書いておいてもいいけれど、それを「わかる」かどうかはその人に依るのだった。キーがなければ開かない扉みたいなことを考えるよ。すべては書かれて開かれているのに、わかるためにはその人自身がキーでなくては!