紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


最終的に僕たちは最終的を知らなくちゃ

風が強くて出たくないと思っているうちに随分寒くなってしまった。来なくてもいいなんていわれていた予定は行かなくして、ちょっとそこまで。自転車道で三人組の小学生たちが「もうちょっと行ったら駄菓子屋があるんだぜ」なんて言っているのに出合って着いていこうかなとかちらりと思う。行った先のハンバーガー屋では女子中学生三人組がらしい会話をしていてなつかしくなる。ポテトのLと飲み物を頼んで突き合わせる頭。

昨晩から体調がよくなく、いいえでもこれはいつものアレとか思うのだけど、気持ちも参っているようでちょっとしたことで悲観的になり被害者ぶりたくなってしまう。人間は安定していないということの何度目かの確認、感情はだいじというときの感情にこのホルモンによる不安定さを含めていいのか考えてしまう。いわずともその一日を気遣ってもらうことはできないのだろうか。輪郭がはっきりしたときには大抵のことはもう終息期に入っている。つらいことに気づかぬ期間をどうすれば。普段ならばできること気にならないことが急にのしかかってくる、ということを。また来月。

同じことばかり書いておるという気持ちはある。本片づけられてないじゃんというアレで、忘れていたはずなのに惜しくなるこの現象。なんかこれ覚えがある。捨ててしまえば振り返らず。感傷にひたっていたいだけなのだ。すでに終わっている恋愛をどうにかつぎはぎしようとしている感じ。似てないですか? 何百の本と何百の別れ。

亡くなってしまえば片づけるのは後に残る人たちで、祖母の家のあの大量の本、近くの古本屋さんに引き取ってもらった。見積もりより多くあったものだから、その日は一回帰って空になったトラックが次の日にまた来た。文庫や新書はほぼ価値がないとはわかっているけれど、めずらしいものもいくらかはあったようで、最後の日の業者が全部さらっていった費用くらいにはなっただろうか。もしくはあの小さな葬儀の費用くらいには。ということを考えてしまう。なんでも片づけますという業者は請求の何十万何千円の何千円の部分を「サーヴィスしますから」といってゼロを並べた。サーヴィスもなにも言い値だったけれどなにも言えず母はサインをした。母とわたしが従順だったことに対するサーヴィスだったのかもしれない。できれば現金で、と言われ母が業者の車で銀行に行っている間、わたしはひとりでそこにいた。なにもない部屋。わたしがうまれたときからこの部屋はあって、カオスを増殖させていた。ゲリラ豪雨が去ったあとで傾いた太陽が姿をみせていた。風が吹き、夏の暑さが這いながら戻ってきかけた夕方、わたしはそこにいた。わたしの知る部屋はなかった。あれから数か月が経ち、もう自転車をこいであの道を行くことはない。駅前に安いスーパーがあったのだけど、もう行かないな。あの街にもう祖母はいない。