紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


美術館、紅一点

薄曇りの美術館の三番目の休憩室で座っていたらやってきたもうひとりがみっつあけて座り、わたしはにやりとした。床から天井までの大きなガラスを前に交換する小さな言葉たちを青い静寂がていねいに拾っていく。コーティングされた時間と言葉の中でゆらゆらと会話を旅した。知らない女が入ってきて椅子の真ん中に腰かけ、わたし達は関係のないふたりにもどった。

久しぶりに会った友人は男性のたくさんいる会の紅一点としてがんばっていて、彼女の発言のたびに周囲はどっとわいた。あたたかな空間。そうかもしれない。しかしわたしはホモソーシャルの潤滑剤として使われている気がして落ち着かなかった。解散後、仲のいいというおじさんひとりくわえて三人で食事をとった。しかし、ともすれば人生訓を語りたいおじさんの会になるのではないかとか感じてしまったりもする。結婚とか恋愛とかの話をしていた。友人は結婚したいと言っていたけれど、けっきょくは恋愛をしたい、のだった。

不公平な関係というのは日常にひそんでいて、感度の高い人はとらえることができるけれど(わたしのそれは勘違いかもしれないのだが)、渦中の人が気づかないかぎりなにもできないの、とか。本人たちが満足していればいい、のか。よくないと思うけれど確証はないしということで悩む。現実の難解さは愉快だ。