紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


夏至

やらなくていいって言ったことをやる機能が人にはついていて、確かにありがたいこともあるけど、やらないでいいって言ってるんだからやらないでほしい。

いつもは自転車で行くところを今日は歩いていった。30分くらい。途中にコンビニがあって寄る。イヤホンが断線して、昨日応急処置的にダイソーで216円のを買ってそれに付け替えた。こもった音が左右の脳の真ん中で像を結んだ。雨の日って感じだ。

詩のことを前よりずっとずっと考えていて、答えが出るようなことでもないんだけど、意味や音やイメージ、はたまた言葉そのものへのフェティッシュとか、人によってアプローチが違うんだなと思った。そして、発する人も受け取る人も各自好みがあり、こりゃあもうどうにもなんないなというきもち。

グレーの空に上水ぞいの緑が濃くうすく並び、自分の輪郭がはっきりする感じがした。

行った先は何年もお世話になっているけれど、もう、そろそろおしまいかもなと勝手に考えたりしていて、メールでのやりとりばかりしているとそういう気持ちになりがちで、実際に行くと引き戻されたりするのだけど、今日はまだ続けようかなって気持ちといやもういいでしょって改めて思ったりもして、両方あってフェアだと思った。

後半はつかれて、立ったまま虚ろに笑うマシーンみたいになってたから、戻りたいの気持ちがそこまで大きくならなかった。

昔、わたしのように思った人がいて、最後にそのことを表明していってそれが爆弾みたいだった。わたしはそういうことをしないのは優しさでしょうかずるさでしょうか(みたいな)。

その場所にいることで発生する喜びやら戸惑いはもうわたしのものではなく、他の人に任せようと思った。不思議な場所にいて自分がゆらぐことに価値を見出せなくなってしまった。

(そして、そこを不思議な場所にしてしまったのはわたしの認識なのだった!)

人との仲良くなりかたわからないし、役割としてもできないのかと思うとなかなかの不全感。ただダウナーなだけな可能性も少しあるけれど。

帰りも同じ道を歩く。声をかけられることばかり待っててしまう。

夏至は夏に至ると書くけれど、夏至をすぎたら夏はしぼんでいく感じがある。暑くなるのはこれからなのに。夏至は南中と似ている。