紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


自分の、墓が、見えた、話

はいいらっしゃいいらっしゃい、安いよ今日はいいの入ってるよ取れたての活きのいいコウカイあるよ新鮮だからね酢醤油でズッと食べたらおいしいよー(おいしいよー)

ってわけでねー(ねー)。帰ろうと思ってた時間の10分前くらいに電話が鳴って、今日の仕事の終わりにって気を利かせて出たつもりが大間違い。いきなり暗雲立ち込めて20分弱のお電話の旅。耳から入って気持ちだけが地獄へご案内。もーうー困ったよ弱っちゃったよ。でもまあなんとか帰ってこられて、考えてみると気がつくことがたくさんあった。ひどい電話(ことによるけど)は単体でひどいんじゃなくて、その前にいろいろあって、結果としてひどくなってる、ということ。なので、これもその前の時点で上手く積み重なっていれば問題はなかったんだ、という。だからもーしっかりしてくれよ他の人ーと思うのだけど、同時に電話に出ちゃったわたしもなんとかできたのでないかという罪悪感はある。あるんだこれが。心を大きく持ったりもうちょっと気が利けばなんとかなったんじゃないかとか。わー。わーわー。でもやっぱアウェーの電話に出るものではないというのが。それが賢かったのかも。君子危うきに近寄らず。電話に出なければトラブルはやってこない。うーむうーむ。でもそれでいいのか現代社会という気持ちがする。

もちろん内容は割愛するけど、電話の相手は、困っていて、(こちらに)不信感があって、挑みかかってくるようで、それに通り一遍の受け答えしかできないわたしは何を言ってもさえぎられ、とんちんかんに受け取られ、でくのぼうだった。デクノボー。全然わかってない(とこちらは思ってる)教師に謎の罪で廊下に立たされ、なぜか反省文を書かなきゃいけないみたいな感じになっていた。なんであれ、(お互い)やりとりの相手をそんな気持ちにさせてはいけないのだけど、それでも謝るのがサーヴィスの心というやつなので(この世はひどい)。

デクノボーのわたしが怒られているのを俯瞰して、そういえば賢しらな男の子にいらついていたときのことを思い出して、あああまた過去が反転してきていると喉から気道が桃色に熱くなって丁寧に裏返って口から飛び出していく、、わたしは自分の過去の弾丸にやられてしまうのだ、自分の亡霊にいびられ、抱き合いながら火だるまになって崖から転げ落ちる心中のイメージが。それからしばらくわたしは燃えていて、丘の上に並ぶお墓まで見えたよね。なぜかキリスト教式の。青い空に映える十字なんて、映画での知識しかないよ。焼け焦げても火葬はしてもらえるのかしらこれは日本式の話。

いやしかしミスについて、あまりないようにとは思っているのだけど、いざあってみると、それは100点満点のテストで95点とかそういうんじゃなくて、この5項目のうち2つあてはまったらまずいんじゃないー? やばいんじゃないー? なときに1つあてはまってる感じ。セーフなんだけど要注意、みたいな。ほんとは1つでもあてはまってたらだめなんだけど温情込みで2つにしてあるのに毎回1つでぎりぎりすり抜けてはいるんだけど目をつけられているような。「あ、あいつアブナイな」って。ってゆう。のを自分で思っている。実はすごい綱渡りなんでないかなと思う。思うのはしかしわたしの豆腐メンタルゆえ。ゆえなのだろうと自分で自分をなぐさめながら生きている。とはいえ、実際のところはどうなんだろう。ね。

めためたで、くま……くま氏……と思ったけど、自分でかいてるのだった。

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なんかゼリーつくってくれました。

まーでもほんとうにありがたい、こと。