紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ここで線をひいてとんとんにする(勝手)

 

自分が詩人だったことがわかってしまっておどろいている

詩はともかく(と言ったって、当時は詩を書いてるとは思っていなかったのだ)日記の文体がアイタタな感じでそっちにも戦慄する

ある年代の人ってインターネット上で同じような文体になってしまうんだろうか?

いってみればネット人格の文体?  その意味でわたしはインターネットの全員であるし、全員を(過去の)わたしと見なすことができてしまう

 

(本当はそんなわけないのに)

 

みたいなことを思って、同居人の言ってることしょっちゅう「何言ってんだ」って思うけど、同居人も同じく「何言ってんだ」って思うことあるんだろうなと思った  からそう言った

でもその「何言ってんだ」を考えるのをやめられないのだった

 

急に『文学部唯野教授』読みはじめて、はじめの「印象批評」がばっさりやられてるので笑ってしまった

自分を肯定するために作品があるかといえば否で、文学理論をあやつる人はもっと高邁な思想でもってやってくれ、みたいな  わはははは

 

個人的な世界でしか生きられないのに、全体性のあることを知って(知らされて)それを考えながら生きねばならないのは難儀やなと思うことしきり

 

あと30分で終わる四月だから記念にスマホから書いた  もう眠りの境界にいるので誤字で変な数字や記号が並んでないといいのだけど  おやすみ四月  二度と会えない四月