おいしいものは人類の奇跡だ
ロボットがどんどん賢くなってきて、もはや人間と変わらなくなってしまったら。
会社の人たちがそういう話をしていて、そうなったら仕事がなくなってしまう、怖いと言っていた。介護だのなんだのをロボットにされたくないとも言っていた。
ボリス・ヴィアンの小説に労働のための労働をやめられないのは滑稽というようなくだりがあった。引用しようと思ったら見当たらず。持っているのはたしか新潮文庫だったけど、昨年新訳が出たのだっけ。
機械が人間を超えることはあるのだろうか。部分的に機械のが優秀ってことはあるだろうけど、指揮系統から人間が外されるってことにはならないのじゃないかな。人間って、生物って、総合的にめちゃくちゃ優秀だからね。SFではロボットの叛乱とかあるけど。ロボットによる社会って、労働のための労働と同じ滑稽だ。感覚的には、機械を人間型にしなかったらいいんじゃないのかなと思ったけど。
個人情報の漏えいが怖いとも言っていた。かれらには怖いものばかりのようだ。
「個人情報」とはなんなのかという疑問は残るが、個人情報のある面は「名前」と似ている。自分をあらわすものだが、他人が使用することで意味をなす。名前には真名と仮名があって、真名のおいそれと知られちゃいけないっていうとこも似てる。個人情報も真個人情報と仮情報を使い分けたらいいのか。郵便も電話もメールも届かない。みんなで源氏名振り回して生きていこう。わたしの源氏名は本田翼にします。よろしくお願いします。
以上、参加しなかった会話の雑感。
★
スーパーで春菊を見かけて、鍋の季節がやってきたと思って、そういえば神様(同居人)は春菊が好きだったことを思い出した。
最初に好きな食べ物をきいたらば、
薬味だったので、それ以降きくのをやめた。(ミョウガ好きな人は大体の食べ物を好きだろうという予測から)
ミョウガにしても春菊にしても香りの強いものが好きみたい。だ。
わたしはひとりで暮らしていたら春菊もミョウガも滅多に食べなくて(ていうかゼロですよ)、同居になってから、それ以外にもいろんなものをちゃんと食べるようになった。それまではレパートリーは納豆ごはんとしょうが焼きとギョウザだったからね。冬場はプラス鍋。ひとり鍋。
それが今ではちゃんと献立まわして、常備菜をタッパに保存している。生活を共にする人(々)と食の好みが合うのは重要なことで、毎日の食事が自動的に楽しいものになる。しかも神様は自分でも料理をするので食生活が大変に豊かになった。わたしの知らない料理が出るし、野菜も多いので本当に助かる。味にうるさいこともない。ありがたい。ありがたい。
みたいなことを考えながら春菊をごま和えに。
偶然だけど、これまでつくった料理について話題になった。お互いがよくつくる主菜当てとか。驚いたことに、神様も自分の作ったものとその回数を大体覚えていて、わたしの記憶とほぼ一致した。食に関する記憶が発達している。不思議だ。つくる人は覚えているのだろうか。
今後もこの生活が続いたら、メニューの回数も記憶も溶け合ってわからなくなっちゃうときがくるのかな。判然としないが、いい感じのごった煮だけが残ってて。そして食事の思い出が溶けてまざったのは肉じゃがみたいな色とかたちとにおいと味をしてるんじゃないかなと思った。いま。唐突に。