紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


僕らがマスクをする理由

女子力のこと、書けば書くほど自分のがさつさにがっかりしてしまうのでやめた。そこまでがんばるエネルギーがない。毎日風呂に入ってちゃんと服を着てるんだからゆるしてほしい。

一日目の夕方くらいの子どもたちの声とかに、野外活動ってこんな感じってピントがきゅっとあって、そこでゲージが満タンになってしまって、もうこれで満足だな、百点!とか思って、たぶんそこからの惰性というかボーナスステージがそれはそれで本番なのかもと思った。ほんとうのわたしがなんなのかはわからないけれど、ともかくそれはそれでひとつのわたし、であった。なつかしかった。

若い女の子たちのあたふたもいらっとする反面、"若くてかわいい"に集約されてしまって若くてかわいい。わたしは歳をとってしまった、と思った。長い青年期が終わったのであった。勘違いかもしれないけれど、その場で実感されたということは確と残るだろう。それがいいことか悪いことかはまた別で(悪いことにしたいあがき気持ちもある)。この一年くらいってすごく自分の転換期になるタームなのだった。このタームはここでいったん終わるのか、まだまだ続くのか、それはまたのちに実感されるのだろう。ともかく日記書いててよかったなーと思った。