紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


夏はまだこれからだし

暗転、舞台は真っ暗だが次第に目が慣れてなにかが動いているのがわかる。暗闇に目をこらすのはなにかに似ている。照明がつかないで、このままずっとこの黒を見ているのもいいかもという気もする。「それが俺らの演劇!」って言われたらそーかーって思ったりもするし。舞台を誘ってくれる人がいくらかいてありがたい。自分では見つけられないものを観ることになる。目の前で(30mくらい離れてたりもするけど)人が動いて声を出すのはすごい。それはいつも日常で行われていることなのに。それは"演技"をしているんだけど、日常だってそうだ。人は多かれ少なかれ演じている。演者と観客がいるからだろうか。しかし観劇はただ鑑賞というよりはその場の空気まるごとにつつまれる感じがある。だれも観客がいなくても演者は演技をするんだろうか。そうすると誰も見ていなくても自然は美しいみたいな話で、演劇は大自然に似ているのだろうか。

雨は降っていなかったけど、駅前の大きめの雑貨屋で雨具をみる。持っている折り畳み傘がだいぶくたびれていたのと、コンビニで500円くらいのビニールの合羽、よくみたら擦り切れて縫い目から少し穴、だいぶ穴。現状持っているものを買うときは迷ってしまいがち。貧乏性なのだった。ほんとは自転車用のポンチョがほしかったのだけど、着てみたらつぶしがきかなすぎてあきらめた。自転車に乗ったときにかごと膝と足を守ることに重点をおいている。大きめの折り畳み傘とふつうのレインコートとやっぱり500円くらいのビニールの合羽も買った。これは反対につぶしがききすぎるやつ。そういえばと思って歯みがき粉も買った。

先日『すべての雑貨』という本を読んだけど、雑貨化する社会、雨具も雑貨屋で買うことで雑貨になってしまう。ほんとは雨具屋さんで買いたいところだったけど、雨具屋さんってみたことない。それに雨具屋では歯みがき粉は置いてないだろうし。それで、すぐに雨が降ってそれらの出番が早速あったので、わたし、慧眼!! って自分を褒める。新しい雨具はあるし。夏はまだこれからだし。