紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


おまつりわっしょい

とりあえず口の中がずたずたなんだけど。楽しいお食事の最中に頬の肉を噛んでしまったときの感じ。しかも日をあらためますみたいに一週間後くらいに傷になる。ここ数日頭痛するのと肩がこるのなんでかなぁ気圧かなぁ仕事の疲れかなぁと思ってみたけど、口内傷側の痛みなので、それに起する歪みひずみよじれで合点。バランスとるみたいに反対側も噛んじゃってもうなんだか幸せにはなれそうもない。

 

映画『メッセージ』のことを考えていて、エイリアンの書いた文字、よかったよねって反芻してる。それはいわゆる表意文字でぱっとみたら墨で丸を書いただけに見えるのだけどその一字(といっていいのか一丸)で単語も文章もあらわせるのだ。もしかしたら文章ではなくてそれもただただ長い単語なのかもしれない。というのも、かれらの言語には時制がないから。対する地球言語(アルファベット)は表音文字でaの一字では意味をなさない。つらねて単語、そして文章にしなければならなくて、書いている間にも時間が流れるということを感じた(現在形とか過去形とかだけでなく)。言語に時間がないということは過去も未来もないという着想がものすごい。

そういえば漢字も表意文字で、何画か書くには時間がかかるけれど、書いてしまえばそれ自体が意味をはなつ。書道なんかをみていると、その字に過去の時間が内包されているのは感じることがあるけれど、そこには未来もふくまれているのかしらん。とか。

死語っていうのはその単語とか言い回しが使い古されたものということだけど、そうすると言葉自体にも過去の言葉、未来の言葉というのがあって、げんに古語は現代の日常語としてはなかなかつかわれていない。死語に話を戻すとそれはもっと短いスパンのことのようだけど。ほかに最初に言い出した人はいけてるけど、広まってからそれをつかうのはださいみたいなのもあって、新たな言葉が隆盛をし陳腐化してすたれて死語になる。でもこれは言葉を道具としてみなしている気がする。現代は言葉をも消費しているのかもしれない。言葉を消費するってことは思考も消費して時間つまり歴史も消費しているのかもしれないなぁとか思ったりして宇宙人の気分。いかんともしがたい。