紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


6年間の思い出

きもちが今わりとエモの方にいっているというか、細い糸の上にいるみたいな感じで些細なことで心がきゅっとする。涙ぐんだりする。この甘酸っぱい感じ、嫌いじゃないというかむしろ好きだけど、ふと我に帰ったときにつかれたなと思ったりする。こころがふるえるのはつかれる。

去年もたぶんおととしも? 行った音楽のライブに行って、それはもうふるえてふるえる音楽なのだけど、前回まではそれに時間や物語がとじこめられているように(それが解放されたように)思ったのだけど、今回はただただ現在、を思った。その人たちが、わたし(たち)がいるこの空間、を、音、が、揺るがしていく、ただただそのうねりだった。うまく没入できなかったともいえるが、でもなんか新しいことが起こりかけているのかもしれないとか思った。

音楽と関連づける必要はないけれど、ふと思い出したのは小学校の卒業文集のことで、ひとり1ページのノルマがあたえられていて、好きなことを書くのだけど、みんな、30人だか40人だかが2,3のタイトルのどれかを書いたことを思い出した。「6年間の思い出」とか「運動会の思い出」とか。題材を指定されたおぼえはないし、題材が決まっていても題名は変えていいはずで、自由とは!!! と思ったのだった。わたしはひとりだけ「図書館」とかそんな感じのことを書いたはずで、上手に書けた記憶もないし、「6年間の思い出」にしとけば悪目立ちもしなかったろうなと思いながら、なじんでないクラスになじんだふりをしなくてよかったし、けっきょく感じた違和をやり過ごしてなんていないんだった(でも、なんでも飲み込んでいるような気がしているのはなんでだろう)。まあでもそういうところだよね。言えよーということなんだろうな、っていうのは伝え方の話。ネクラにできる反抗なんてそんなものだったと思いました。明日こそはM-1のこと書きたい。