紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


糖衣の極限

 

入浴、どれだけ時間をかけても手順をこなしていればいつか終わってしまった。ことだけど、きょうにも「終わり」はあるけれどお風呂のときみたいな明確な区切りはなく、ぬるりとあした、もしくは新たなきょうに突入。沸かしたてのお湯は熱く、冷ましているあいだにぬるくなりそれはもはやお湯といえない。それでのんだ糖衣はあまく、もうちょっと口の中にいれておきたいんだけど、むかしなにかの糖衣錠をいつまでもなめていたら突然の叛乱、苦さの爆発、というのが頭をかすめすぐにのみこんでしまう。糖衣の極限、行ってみたいのだった。

 

出かけて、ちょっと元気になるけどやっぱり本調子じゃなくてよくなかった。あまりにも久しぶりだからか反発心みたいのが出て、わたしは変わるのだとかとなえたりしたけど、このやさしい人たちを、わたしは棄てるのか、とか思う。し、やさしいだけじゃなくて野心みたいのもあって、けっきょく普通の人じゃんって思ったりしてつらくなったりもする。この人たちは特別な人たちではない。仕事と余暇と趣味がかけ離れすぎていてつらい、というのか、どこでも別の顔をしようとして(それは当然のことだともいえる)、乖離に混乱している。どれもそれなりに正しいの、自分のなかで統一しようとしてつかれているのかもしれなかった。去年までは別の顔をもって生きるのだぞとか思ったりしていたけれど、これからは、ともかく今年は、統合もしくはいくつかを選ぶのかもしれなかった。どれも並列にあつかえる性格だったらとうにできている気がするし、思うより不器用なんだろう、わたし。