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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ことわざって

長いことつかっていなかったマシーンことミシンをひっぱりだしてきて布を縫ったりもする。はやいはやい。先日手縫いでちくちくしてたことブックカバーが二時間で完成する。しかも単行本サイズだよ。裁縫ブームがきたのは思えば五年前の地震の前後で慾にまかせてamazonでポチったマッスィーンことミッスィーン、けして高価いものではないが、針に糸をとおすのと下糸をひっぱるのがほぼ自動でできるようになっていて驚く。あんなに苦労していた過去のわたし! わたし達!!! あれだけ糸をダマにしていたわたし! 針が動かなくなったのに無理して針折るわたし達!!!

小さい人は不器用で折り紙も料理も布を縫うのも一苦労だったのが、年を経て指先が器用になり、繊細な機微、過ぎたるをひくことなんかをおぼえて、もろもろが大変上手になったなぁと思うのだけど、そのころにはもう小さい人をやんややんやしないといけないというのとても皮肉だ。とはいえ子どもたちを押しのけて何かしてやろうというふうにも思わないのだけど。

中学だったか、家庭科の時間に手縫いでエプロンをつくる、というテーマがあって、それは確かに手縫い、ミシンという順は裁縫を理解し深めるために有効なやり方なのだろうけれど、中学生の幼い手では習熟もものごとの機序もわからず、ただ縫えばいいのだとざくざくと進めていた記憶。粗い縫い目の男子などもいたようだし、なかなか考えたようにいかぬのだなと思う。しかしそれが今となって結実し、夜な夜なミシンを繰っているのでありがたいが、服は買うもの、そうではない人たちもいるのは惜しいなぁとか。

歳をとってから新たになにかにふれるのは容易ではないから、広く浅く苦手意識のできない程度にふれさせて、ある程度成熟してから個人で深めてもらえばよいのかな、などと思う。というわけで、とくにオチがあるわけではないが、三つ子の魂百までとか、蛙の子は蛙、みたいなのってだいぶ言い得て妙だよなとかそんな感じで。