紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ワクチン接種(1回目)

ワクチン接種に行った。一回目。ずらそうかという案もあったけど、同居人と同じ日時に予約をとって、連れ立って行った。自宅から二番目に近い駅までバスで行き、そこから5分程度歩く。駅の階段を降りたところにたい焼き屋さんがあって、大きくはないけど安くておいしくて種類豊富なんだけど、そこでおやつを買うことを楽しみにしていたのに、開いていなくてがっかりした。がっかりしたまま接種会場に行った。それだけが楽しみだったのにとぐちぐちいった。セブンイレブンの隣の隣に新しいセブンイレブンができていて、理由はわからないけどとりあえず、ヒェー、資本、と思った。ヒェー、資本。

家で問診票を書くときに体温を計り、会場の入り口で体温を計り、出迎えの人の確認をすませて案内されるところでも体温を計り、問診票が係の人の手に渡ったところでもう一度、計られた。最近のわたしたちはあらゆるところで熱を計り、計られ、液体なりねとっとした液体なりを手指になすっている。これはかつてない状況である。し、あんまり意味はないかもしれないと思う。たくさんの人がよくわからないコントに出演させられている。ま、社会ってそういうもんかもしれないけれど。とわかったようなことを。

そのあとはスムーズに、あれよあれよと何人もの案内と手招きによって、医師のもとにたどりついた。「接種について医師に確認しておきたいこと、不安なことはありますか」の問いにどう応じればいいのか朝からずっと悩んでいたけれど、答えはでないままだった。何をいってもなだめられる気しかしない。疑問はあるが、なだめられたいわけではない。まして、希望者のみが受けるのだから、疑義があるなら打たなくてよいのだ(話はずれるが、注射、という点において、ワクチンをうつ、のうつ、は射つ、だろうと思うのだけど、この字は射るのイメージが強くて、読めないので使われていないんだろうなとか思う。ほんとうかどうかはしらべていない)。

この問いについて、同居人は「5Gにつながるかをきいたら」とかいっていて、なんだかそのレベルの話であればきいてもいいように思うが別の問題が浮上するよなという気しかしない。

けっきょく、うすら笑いとうなずきのみで医師のもとにたどりついたわけだけど、壁の方を向いて腕を差し出したところで、正気に返り、なんてことをしているのだという気持ちになった。そこまでは現実感がなくふわふわと身をゆだねていたのがここへきて急に、自分の健康に直結する場面なのだと感じられて、ちょっと待ってちょっと待って帰りたいという心境がやってきた。そこまでは木偶の坊だったわたしが、ここではじめて意思を持ったのだが、時すでに遅し、腕に痛みを感じ、「はい終わりました」の声がきこえた。

そのまま15分程度待機して、何事もなかったので帰宅する。3週間後には一緒に待機していた人とまた会えると思うと少し笑える。たい焼き屋はしまっているので、ふだんは行かないスーパーでおやつを買って帰った。

帰る途中で、陰謀論の話になって、でもなんかそれって、その人にとって信じられる(信じたい)部分からうまれてくるのだろうから、いまの(そのときの)わたしが陰謀論を信じるとしたら「本当はワクチンはない」っていう方向じゃないかみたいなあほな話をした。針はさされたけど、なにも注してはいないのだ。ただ、世界的に「ワクチンはある」ということになっている……。針がささったのはわかったけど、薬液が入ってきた感覚はなかったし、その時点ではなんの痛みも不調もなかった。ワクチンが存在し、接種したことは副反応があって、遡及的に確信されるんじゃないかと思った。というのんきな話をした。