紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ぎゃ。とか、ぎょ。とか、

日記からとんと離れてしまっていて、しょくば、は、職場では、来客がなくなったので、同僚の若い人と歌ったり踊ったり、して、いる。ぎゃ、とか、ぎょ、とか、一文字だけ言ってみて、それが空間に取り残されて消えていくのを楽しんでいる。ぎゃ、の余韻。わたしたち以外にも人はいるのだけど、それほどとがめられない。いろいろな子音と母音の組み合わせを楽しんでいる。若い人は「ぬ」が好きなんだって。プリミティヴな遊びをしながら、文章からは切り離されている感じ。で、漫画とかアニメの表現みたく、日めくりのカレンダーがぱらぱらと飛んでいくように、一日と一日の連続性があるようなないような、ずっと同じことをやっているような、昨日がぐんと遠くのような。

手は鬼、というのが合言葉というかお守りみたいになっていて、正確には「目は臆病、手は鬼」らしいのだけど、とにかくひとつずつやっていく、目で見ると大仕事のようなものも、いつの間にか終わっている、実感としては "目" よりも "気"(が焦る)って感じはあるけれど、とにかく昨日ふうふう言いながらやっておいたことが、今日の自分を少しだけ楽にする、ということがわかってきた。とはいえ、仕事はがんがん積まれきて、また気ばかり焦っていくのだけど、そういうときは飲み物をのんで、虚空に語をえがいてみたりして、なんとか過ごしているのだった。