紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


『まんぷく』後半について思うこと、神戸茂の慾望について

まんぷく』を観ている。もちろん朝ドラの。『いだてん』も録画してるんだけど長いので観るときはちょっと覚悟がいる。でも一年よろしくねと思っている。

さてまんぷくは3月終了だからあと二か月、年明けてようやくラーメンを志しはじめたところ。あ、一応この記事はネタバレありで書きますので気になる方はご注意くださいね。といってもはじめから「カップラーメンの人の話」って知ってますので、みんな思ってましたから。やっと核心に行くのかというきもち。くすぶってた時は「映画撮ってくれー!!」とも思ったものです(『地獄でなぜ悪い』の長谷川博己さんがめっちゃ好きなので)。

後半に入ってから思ったこと。

①福ちゃん(安藤サクラ)ちょっと重くない?

②茂さん(瀬戸康史)、萬平さん好きすぎ問題

のふたつで、まず①から見ていくと、福子さんの、つまり萬平さんの妻ですけど、夫への、もっといえば夫の才能への信頼が強すぎるのではないかということについて。今にはじまったことじゃないんですが、それが目に余るように見えてしまうのは何故か。たとえば周囲の人間が信用組合の理事長を辞した萬平氏に対して好意的でないことを言うのに「あの人は才能がありますから!」というように聞く耳をもたないこととか。そんなのは雑音なのでそれでいい気もするけれど。また萬平氏本人がこれでいいんじゃないかと言ったことに対しても「もっと良くできるはず、あなたの才能はこんなものではない!」というような場面があり、それではもはや萬平氏自身よりその才能を盲信しているのではないかと思われるのです。しかもそれには論理的な理由があるわけでもなく、勘というか、思い込みに近いものを感じたりするのです。

ふたりがカップルで子どもがいない頃だったらよかったかもしれないけれど、子どもが泥だらけで泣いて帰ってきたときも福子さんは子どもの方じゃなく萬平氏(の才能)の方を見ていた気がしてそれでいいのかと思ったのでした。

続いて②について。茂さんの萬平さん好きも今にはじまったわけではないけれど、タカちゃん(福子さんの姪なので萬平氏の義理の姪)とつきあってたときは彼女一筋であったし、結婚までしている。そこまではよかったのだけど、最近のとち狂いっぷりがすごい(ひどい)。会社の解散によって萬平氏の元を離れたからか、萬平さんを手伝いたくてしょうがない。結婚で姻戚関係にまでなったのにそれで全然満足していない。もはやそのための結婚なのではと思いたくなってしまうほど。妻の話もそこそこに町工場やラーメン作りまで手伝いにいってしまう。といっても後者はタカちゃんの妊娠の発覚で諦めさせられたのだけど。

これは一言で言ってしまえば大人げない。妊娠が発覚してなお萬平氏の新事業に未練たらたらの茂さんを見るにつけ、失格失格失格じゃあと現代Twitterにはびこる滅多切り鬼の面でもって襲いかかりたくなるのだけれど、彼が(大人の、父親の)自覚を持てないのはなぜなのだろうと考える。だって以前(結婚前)はまだちゃんとしているように見えたのだもの。

ふたつ説を考えた。

A. 変わっていない説、つまり彼の本質は変わっておらず、変化したのは状況の方だという仮説。未婚で塩やら健康食品やらをつくっていた時代の彼は責任もなく(家族は戦争でいなくなってしまった)、ただ自分を満足させるためにのみ働いていた。会社の解散で転職し、今は幹部社員や結婚して夫(また父親)としての役割を持つがそれを履行するべきとは思っていない(気づいていない)。子ども(青年)のままなのだ。

B. 変わってしまった説、つまり昔は年齢なりの常識人だったが、現在は自分のやりたいことをやったるかんね人になってしまったという仮説。自分で書いていてよくわからなくなってきたのだけど(告白)、慾望に忠実になってしまったということだ。その慾望が何なのかというと、「萬平さんを見ていたい」ということである。その慾望は以前は自然に日常的に叶えられていたのだが、それが叶わなくなってしまった。叶えられていたうちは意識されることのなかった慾望が満たされなくなって頭をもたげてきたのだ。

少し昔の話をするけれど、塩づくり、または栄養食品づくりをしていたころの茂さんは基本的に満足げだった。一度だけ不満を見せたのは東京勤務になったときで、その理由は恋人のタカちゃんに会えなくなるからであった。この時点ではタカちゃん>萬平さんであった。東京では近所の定食屋の美人に言い寄られたりしてもOnlyタカちゃんLoveであったし、このふたりは盤石なのだろうと感じていた。それが今や萬平さん>タカちゃんである。転覆である。革命である。茂Revolutionである(いや、萬平Revolutionなのか?)。それはなぜなのだろうか。

説をふたつ考えたのを引き取って書くことにすると、両方ともそれっぽいからどっちでもいいような気もするのだけど(どの立場でもそれっぽく言うことができる、これがわたしの詭弁力ですヨロシク(この言い方も詭弁っぽいな))、茂さんの中でのタカちゃんと萬平氏の逆転まで言及してるしBの立場をとることにする。つまり茂さんは変わってしまった、それはなぜか。

さて、茂さんが自分のやりたいことやったるかんね人になってしまったとする。自分のやりたいことやったるかんね人として思いつく人がいないだろうか。そう、萬平氏である。話はずっと彼の周囲をまわっていたが、同時に彼の話をしていたようなものだ。『まんぷく』において、一番やりたいことやっちゃうのは誰あろう萬平氏なのである。発明家というアイデンティティをそのまま妻に受け入れられ、そのままを愛され、長男がうまれる前後は多少怒られはしたものの基本的には思ったとおりにやっている。悩みがあったってそれは完成までの回り道で、どうにか突破する力(もう意思力のような気さえする)がある。選ばれた人と言ってしまえば乱暴だけど、そしてそれを支える思い込みの強い妻!

茂さんは萬平さんにあこがれている。ただしそれは発明家としてではなく、「自由にやる」を実現するという点においてだ。茂氏の慾望が「萬平氏の側にいたい」で、もしそれが「自由に」実現するとき、慾望が空洞化し茂さんはそれだけの存在になって萬平氏の周りを歩きまわるだけになるんだろうと想像したりする。ビッグバンが起こりそうなくらい空虚だ。萬平さんは自由にできて茂さんが自由にできないのはなぜかを考えてみたけれど、慾望の決定的な差によってできないのであった。

そんな抽象的なところに着地しても誰も得しないのだけど、うーん、でもやっぱり応援できないよ、かんべくん、ってなってしまった。タカちゃんに無条件で応援されるためには空虚じゃないものを慾望しましょう。わたしが言えるのはそんなところでしょうか。

おいしいラーメンを頼みます。あと、長谷川博己さん、過剰な演技を見せてくれ!

上記、どうぞよろしくお願いいたします。かしこ。