紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


発酵食品めざすロード

きゃべつを発酵させてるんだけど、寒くない? 活躍できなくない? と問うてる、菌に。先日は仕事中に突然、みそを仕込みたくなってしまったし、発酵、気になるよね、発酵。パンも発酵させるし。というか、発酵してない食品ほとんどなくない? 日本は発酵食品が多いとかいってみるけど、だいたいすべての食糧は発酵に向かっている。冷蔵庫内、タッパウェアの中、ちょっとずつかもされている(冷凍庫内はツンドラ地帯)。なんて書いてみたけど、食糧としての終わり(腐敗)に近づいていくのを(それが目的ではないのに)発酵というのはちょっと無理がありますね。それらはおいておいて、味噌、醤油、ヨーグルト、チーズ、漬物、マリネあたりでしょうか。場合によってはお肉やお魚もなんらかの処理をほどこされて発酵食品めざすロード。そしたらわれわれの"生きる"も"発酵"と呼んでもいいのでは問題。わくわく。しかし、発酵極意いち、火が入ったもの(菌が死滅したもの)は発酵しない。発酵極意に、いきてるものは発酵しない。みたいなことを考えて(わたしが考えた極意ですが)、われわれの身体は発酵していないと直感。死んだように見えるもの、明らかな生と切り離されたところに発酵は立ち上がる。寝かせておく、がその秘訣。一度うみだしてそのままうっちゃってあるようなもの、思想とか書きものとかと発酵は相性がいいのではと思う。むかーし書いた日記とか、いい感じでかもされてるんじゃないだろうか。そう考えると、過去のもの(書物とかもね)、時間が止まってしまったわけじゃなく、かもされている、わくわく。