紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


雪國

世界Aから世界Bに行くための準備というか通路というか期間があり、その間わたしは皆様の会話をじっと聞いていた。なんでこんなにすらすらと会話ができているのか不思議がり、しかしそれ以上なにかする気も起きなかったので目をつむっていたら少し寝ていたらしい。他人にかけるべき声が出てこないのは失語症でいいのだろうか。言葉になる前の言葉を含んだままたたずむ。一転、世界Bの人物になってしまえば言葉はすらすらと役割をこなせるのであった。さらにAの自分とBの自分の同一性がゆらぎ、あの自分はなんだったんだろうと考えてしまう。どう考えてもいまの自分が自分らしい自分であるのであった。なんて言いながら、そこには役割があるだけで自分なんて存在せんのだなと思っている。