紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


無重力足場

その人のこと、急に目にしてドキンとする。最近見かけないけど息しているんだろうか。なんてね。たぶん元気ではあるのだろう。思考の堂々巡りに入って鬱々としているとしても"元気"といっていいのだろうか。

影響の届く範囲というのがあって、あまりに遠いと噂話しか耳に入ってこない。逆に近すぎると顔も見えずにその呼吸の音しか確認できないようだ。ちょうどいい距離ってやっぱり友人くらいで、そうすると会話ができるし、遠くに投げようとしているもののこともきけるし、生きているのだということもよくわかる。

友達になりたかった人がいて、そのときのわたしの立場からすれば、それすらも一足飛びの特別なことなのだったけど、ひとりは遠くへいってしまった(とはいえ、それまでと一緒だ)。そして、もうひとりは近すぎるのかもしれない、と思ったときに自分の立ち位置を、足元を考えてしまってどうしようもなくなる。考えてはいけない。が、それに目をつむってはなにも進まないのだった。という点でここ数年はなにも動いていないし変わっていないのだった。

いやいやそんなことはないのだけれど、確実に邪魔しているものがあって、しかし邪魔とはあんまり思っていなかったりして。よりどころにするものがなさすぎて、宙をかく足もまあしょうがないなとか思ってたりするわたしにつける薬はなさそうだった。