紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


立冬と(さらば)青春

こころ、こころなんてどこにあるんだろうね。脳しか信じていないくらいの科学主義者のくせに、こころとかきもちとかは心臓のあたりにある気がしてしまう。その心がぐしゃっとしてしまうような文章をよんでぐしゃっとなってしかしぐしゃっとなりに健気に甘美にやってきて、それを引き継いだように書いてしまえる。が、たぶん本当は気分を変えた方がよい。でもこのぐしゃっを伝えたい。とかなんとか。ぐしゃっははた目からみたらみじめで心がいたくなる感じなのだけど、やってる自分は少し楽しい。絶望にふれる遊びはでもやっているうちに帰ってこれなくなりそうねと危惧も。麻薬みたいなものだった。

立冬、ということで暦の上では冬ということになってしまった旧暦ではいまだ九月だったりしてワオ。先日年配の女性と話していて、立冬はともかく、冬至は日が伸びるはじめだから嬉しい(夏至は日が短くなるはじめだから寂しい)と言っていて、その動物的なよろこび方にクラクラしたーよ。地球も太陽も自分たちの加減でわれわれが一喜一憂してることを自覚してほしい。

そういえばベランダはどうしたっていって、冬です。一足早くからっからに乾いた茶色が冬をおしらせしています。だいぶ前から。あれだけの緑がしなび色をうしないついには茶色いカサカサに。土に還るとかうそで、抛っておいたらおいただけそのままそこにある。億劫がっていたのを先日エイヤと片づけて、片づけまで完遂してこそベランダーと悦にいる気持ちとあの緑の繁茂たちを鋏で断ち切ってビニール袋に入れる味気なさが相まって所詮つくられた自然よコンクリートジャングルよという風に。しかしクロホオズキもシソも枯れてなお幹が立派に太く容易には折れず、ゴーヤもネットによくからまってちょんちょん切られながらも往時をしのばせるのであった。秋播きのパクチー苗を入手してみたけど、こちらは根付く前に枯れそうということでさらば青春。かもしれません。