紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


今日は土日みたいだった/ブログ一周年

夜に横になっていると、真っ暗な中でドーンという音がして目がさめる。なにごとかと考えたときに、ピカリと一瞬明るさが走り、反射的に頭の中で数をかぞえはじめる。これはどうやら雷。雨音がひどい。眠むる前はなんともなかったのに。洗濯ものを室内に入れておいてよかったとネムネムの頭で考える。その間にもピカリピカリと目をつむっていても明るい一瞬がわかる。そして音。近いな遠いなと想像し、ヒナ氏もムニャムニャと起きかけたが、眠いのだという風に意地でも目をあけなかった。ピカリという音、擬音語? 擬態語? に漢字をあてるとしたら「輝り」でどうだろう、などと考えているのは今。それともやっぱり「光り」でいいのだろうか。光宙くんのことを思い出す。

今朝は早めに起きなくてはいけなくて、ハッとしたときには見事な青空。何事もなかったようなぴかぴかの天気に、誤魔化そうとしていませんかと問う。ベランダではゴーヤのネットが横に倒れていて、それを直す。植物たちはそれでも元気だった。日光がすべてを包んでいいことにしてしまう。

朝は少し風が強く、空気も冷たかったのだけど、それは朝だからなのか、荒天のあとだからなのかはわからない。いつも外に出る時間より2時間ほど早く、それでも学生服やスーツの人々が動き出していて、わたしの知らない世界をみた。川沿いの道を走るトレーニングの人。犬が散歩。大きな木の下では葉に残った水が雨を降らせる。

約束の時間にどうにか間に合って、家族がこちらに来ているのと会う。車に乗り換えて、少し遠くまで。祖母も連れ出して、美術館に行くのだった。車中では父が大江健三郎の著作の話をした。わたしは「雷が鳴ると植物がよく育つ」という俗説(?)を持ち出したが、誰からも賛同を得られずがっかりした。雑学の鬼みたいな両親が知らないこともあるのかと、またかれらの言いっぷりがひどいので気落ちしながらも、インターネッツ集合知ことWikipedia窒素固定という項を持っていてくれたことにより難を逃れる。そう、今朝の植物たちの輝きはそれ(気のせい)。

会場に着くと音声ガイドを借りて、祖母の耳にかける。彼女は真剣な顔をして展示を見て、妹が車椅子を押した。杖も持っていったのが、今までの杖ではなくて足が四つに分れた杖になっていた。話しかけるとこたえるのだが、ずっと真面目な顔をしていた。緊張していたのかもしれない。

音声ガイドを彼女の耳にかけたのはいいことだったのか。最後に図録も買った。わたし達は祖母にお金をかけたが、自己満足のような気もする。帰ってきて、母のつくった昼食をとりながら、祖母はずっと図録のページをめくっていた。外出用のジャケットを着たままだった。着替えればと何度か言ったけれど、きかなかった。きこえていなかったのかもしれない。

祖母宅を辞去するときに、「お見送りを」と言って玄関まで杖をついて出てきたのが、これは滅多にないことだった。あいさつをして手を振ると祖母は笑った。さっきの顔でなくて、わたしはほっとした。

祖母の家の前で、田舎に帰る家族にも手を振って、わたしはひとりになった。ここには九十近い祖母がひとりで住み、田舎では父母と妹が三人で暮らし、わたしはひとりだ。同居人もいるけれど、なんだかそういう感じではなかった。ふと子どもに返ってしまうと、わたしは弱く、ひとりぼっちで、すぐに泣き出しそうになるのだった。

家に帰って、同居人とドーナツを食べた。ヒナ氏はコーヒーを飲み、わたしはコーヒー味の豆乳をのんだ。そういえば今日は土日みたいだけど平日だったと言い合った。

自室で紙の日記を書いていて、今のは五年日記なので、去年の今日のことがすぐに読めるようになっている(書いてあれば)。するとそこに、「ブログをちゃんと書こうと思い立った」というようなことが書いてあり、そうか、一年前の今日、放置中だったこのブログを書き始めたのだった。ので、そうしたら今日からブログ二年目です! ということになるのだった(本当を言うなら、その前年の夏からブログ自体はあったのだけど)。ひえーひええー。となった(まとめも感謝も目標も特に言わずに終わる)。