紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


長い一息だ

やっと。やっとなんとかなりそうで。8, 9, 10月ずっと走ってたよね。走ってなくてもあせってたよねきもちが。つらなる山を歩いていた。ここを越えれば次は来月末なのでちょっと一息ついちゃおう。いつだってつきたい一息だ。それでは長い一息だ。

職場の近くの小学校の調べ学習だということでアンケートが配られた。ならぶ「はい/いいえ」にそうじゃねえんだよなぁと思ってしまう。つまり、そんな二択では答えられないということだけど。

というときに、手加減して、つまり相手が望んでいるような回答をしてみるのか、それとも子どもだからって容赦しないでびしびしいくか、どうすべきなんだろうと思ったりする。なにが正解というわけではないだろうし、小学生をみちびくのはその担当教員だろうし、単なるワンオブゼムとなった自分がどういう態度をとるべきなのかわかりかねてしまう。

びしびしいく、として、もしかしたらその後ろに、子どもとしての自分がいるんではないかと考えてしまう。子どもとはりあってよりよいやりかたのできる自分(大人)。傍からみると不自然で、どこかに忘れてきた、または置いてこざるをえなかった子ども時代を刺激されているのではないか。なんて。なんてな。

 

 

くしゃみ

コーヒーの量が増えている。中毒になりかけているのかもしれない。むかしマクドナルドのコーヒーでお腹を痛くしていたなんてとても思えない。節制しているつもりだけど、大きいカップでのむこれは本日の3杯目と4杯目だ。

やるべきことから逃げる癖があって、今だって絶賛逃げ中だ。けしてやりたくないわけではないのだけど、そのときに一番重要なことをあとまわしにしてしまう。結果、24時直前にのそのそはじめて眠るのが遅くなってしまう。よくはない。寝床にいけば同居人がふすふす羽毛蒲団にくるまっている。羽毛は人をよくあたためる。

夜ふかしで免疫が落ちているのかくしゃみがたくさん出る。予感から発射までの間にうまく口をとじられないと上下くちびるのすきまから高い音が出る。はずかしいのだけどおもしろい。やりすごす腕ばかりが上達しているようだけど、きちんと向き合ってこなすのが一番の道なのだ。もちろんそうしなくてもいい。そうしなくてもなにも言われないのが大人だ。ということを考えたときに人生がはじめて目前にひらかれるのではないかな。なんてね(なんてね)。