紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


自轉車三國志

自転車を買ったときにその店のシールを貼られて、それがアフターサービスの証であったりもするのだけれど、げんに同居人の自転車には「修理がだーいすき!」な店のシールが貼ってあって、前をとおったときとかにタイヤを見てもらったり油をさしてもらったりしているらしい。

しかしわたしの愛車は量販店で買ってしまった真っ赤なやつで、シールもないし、そもそも行こうと思ったら自転車で30分かかるのだった。という現実を前に、後輪がぺしゃんこになった自転車をどうしようか考える。五年近く乗ったことだしもはや新しいのを買ってもいいのかもしれない。わたしだって修理を趣味とする店に優しくしてもらいたい。

しらべてみると自転車屋さんはいくつもあって、ふだん通る道にもあるのが、あらためて意識しないと実感されない。つまり自転車屋という存在はわたしの前意識に所属しているのであった。さいわい近隣の自転車業者の組合マップみたいなものが発見されてそれを眺めていると、意外なところに存在し、自転車屋というのは街の(というか自転車の)オアシスのように配置されているのであった。また、組合には参加していないのだろう地図には載っていない店舗もいくらも思いつき、これではまるで群雄割拠、わたしの知らない場所で輪業の覇権争いがこっそり行なわれているのだろう。

三国の一はもちろん駅前にどどんとかまえる建物で、光あふれる店内には銀色の自転車がたくさん並んでいる。店員も若い。店長はどうやら組合のリーダーらしい。二は地域のチェーン店で、そういえばあちらにもこちらにも同じ看板を見かけるものね。系列ならどこでも、車体のシールを見せていただければ笑顔でお出迎えいたします。他店の在庫もしらべまぁす! 最後ははずれの住宅街にある昔ながらの輪業者で長老であろう白い毛の塊が店先で何かしら車体を弄っている。全体的に茶色くほこりっぽく、数年あいたことのなさそうなガラス戸の向こうでは信じられない古さの新車と、車体のどこかがないかつて自転車だったものが並んでいるのであった。

みたいなことを考えながら、この分類でいえば、みっつめに当てはまるであろう店まで自転車を押していき修理を頼む。おじさんはまだまだ毛玉にはならず、ていうかむしろ黒光りしていたけれど愛想もよく、酷使された自転車を明るく揶揄しながら直した。けっきょく車輪は交換で、おじさんはどれほど調子がよくなったかを列挙しながら茶色い油を仕上げに数か所かけた(が、これはパフォーマンスではないかと思った)。

おじさんには感謝しかないが、これもわが愛車がどこにも属さない"シール無きもの"だからだとか思ってみて、群雄を渡り歩く賢人としてこの茶番の三国志に参加できるのではないかしらん。とか思ったりして。