紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


甘茶をのんで

宇宙人をよぶときはこうするのだと手をつないで丸くなって目をつむる。呼吸を感じる。右の人の手はあたたかく、左はそうでもない。こっそり目をあける子ども。興味のない集会に連れてこられた日のことを思い出して気持ちが重くなる。嫌だった。ほんとうに嫌だった。他人を強く意識したのはそこかもしれない。親だって他人だった。自分と違うなら他人も宇宙人も同じようなものだ。

 

泣くタイミング、つまり悲しみを表明するタイミングがわからないって思うけど、怒りを表明するタイミングもわからないみたいだ。当座のこの件、半年くらい怒りやむかつきを感じているけれど、耐えている、というか自分の中に押しこめている。感情的だと思われたくないのかもしれない。怒るのは疲れてしまうからかもしれない。気分かもしれないし、何年もやり過ごせば平気になるのかもしれないし。自分の感情が正しくて状況が間違っているという自信がない。自分はカンが強いだけなのかもしれない。自分の不快感を信じられないのは悲しい。調整が下手すぎる。したいことだけしたい。

今が最高

 

soulkitchen.hatenablog.com

 

実感としての「今が最悪」、しかしその最悪が更新され続けているとしたら、結果としてその"今"は最高だったのでは、ということを考えてしまって、そのへんのとらえ方が人生の生き易さ/難さを規定するんではないかと思ったんであった。「今が一番若い」っていうのもだれの言葉だったかあって、それと似ている気がする。言葉遊びじゃんと思っちゃうわたしは生き難い側の人間なんだろうな。

通りがかりの桜、朝より夕方がより咲いているようで、その短い時間でも春はめきめきと頭角をあらわしている。その桜は成長途中で"今"を基準に明日を次の瞬間を成長のタイトルにえがいてみせる。しかし風が強く吹き雨がやってきて、だれにみられることもなく滲んで散ってしまう。花たちはまだ知らない。わたし達は知っている。成長し続ける"今"にとどまることはできない。おとろえゆくのが運命ならば、やっぱりこの"今"が一番若くて最高なのかもしれない。

しかしこの悟り、正しいのかもしれないけど夢がないね。