紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


檸檬、みたいな

病は去った。とはいいがたく、置き土産。服薬すれば眠気がくるが、どうにも眠れる気配がなく、ごろんごろんと寝返っている。あたまの中とそとの気圧がおかしい。つらい。薬をのまねばマアマア元気だが、顔の真ん中から膿が出てくる。さらさら。火山。ボルケーノボルケーノ!! 夜に近づくと喉の奥がざらざらしだしてせき込む。これもまた膿の発露。咳のし過ぎでみぞおちがいたむ。舌が攣る。つらい。

昨日は後者をえらんで最悪だったので、現在はぼんやりしたままうろうろしている。もう16時とて、日が長くなったね。梅雨入りした途端に雨が降らず、いえわたしが知らぬ間に降っているのかもしれないけれど、服を着こんだり外に出たりすると暑さがやってくるの、熱と混同してたけど、ひょっとしてもう夏来てる? 動いたそばから汗じみてくるのが見えない蒸気の中につっこんだ感じがある(たとえになってなくない?)。

短歌。じょうずな短歌。は、言葉をそのままおいておくとか、どっちかでひっかけてあとはさらっとするとか、そういう感じがあるのだけど、空白が上手よねとかも思う。これは空気感みたいな話なので、好みとか雰囲気とかそんな話になってしまうけど、「上手っぽい」と「上手」はたぶん違うんだけど、わたしはそれを見分けることはできなくて、でも「それっぽい」を掘っていくと上手っぽくはなれるかもしれないけど、たぶんそれはわたしが思ってたんとちがう、、、という感じがする。空白の中に立たせておくというの、詩も似てるんだけど、詩は形式がないからとにかく困難。「これは詩です」といって置きざる、もしくは突っ立っている、強気なんだと感じる。短歌はいちおう形式があるからまだわかりやすいけど、その中で「上手っぽい」がマウントをとりはじめると途端に息苦しくなるんと思う。散文はそれに比べるとひょろひょろ立っていられるんだけど、ストーリーとかいいはじめると粘土の造形に仕込まれた金属の支柱みたいなもんがどれだけ立派かみたいなオーラを出しはじめたり、鉄球しこんだやつで殴ってくるみたいな感じがある(痛い)。というのがなんだか最近の感じで、じっと立っている(置いてある)、というのが今の好み。