紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


わたしはわたしなのかよ

少し前のことだけど。
数年前は一緒に山登りをしていた友達から連絡をもらって、久しぶりに登山に行くことになった。以前は年に2度くらいは山に行ってた仲ではあるけれど、どこからか疎遠になった。と思っていた。一緒に出かけなくなって、誕生日のときだけLINEでメッセージを入れた。お互いの誕生日が近いので、すぐにわたしのことも祝ってくれて、そして次のやりとりは一年後、というのが数度続いて、ハハーン、必要とされていないなと思って、それもやめてしまった。
なんか嫌われたのかなとか気にさわることしたかななんて考えてみて、もしかしたらあのときのわたしの幼稚な思想と発言が嫌だったのかなとか思ったりしていて、まあそれも縁だよなーなんて思っていたのだけど、それがここにきてのお誘い。なんで?
ゆうに5年は会っていなくて、その間になにがあったって。2回転職しているし、海外旅行も屋久島も行ったし、編み物にはまったし、養命酒とヤクルトに手を出しはじめたし、食事をつくらなくなったし、大学のときのノートを少しずつ捨てているし、デカ家具とデカ机が部屋にあるし、最近はYouTubeで野生生物のライブカメラを見ている。なんか、以前のわたしと全然違う人間なんだぜ? と思ってしまった。彼女のさそっているわたしは "わたし" なのか?
そんなことを全部伝えるのか。伝えられるのか。なんて思ったわけで。
それで、結果的にいえば、べつにぜんぜんきかれなかったのでたいして答えなかった。転職したとか最近の登山の話とか。人とつきあうのにぜんぶ伝える必要はないのであった(でも、ぜんぶ伝えたいという気持ちがわたしにはあるのか)。
ただ、最近の登山の道行として同居人がいる(最強なのだ)とか、出勤のリズムが違うとかがあいまって、わたしのほうが彼女と出かけるのが億劫になってしまっていた。申し訳ないとは思うのだけど、優先度が低くなってしまう。というところまで考えて、前回の断絶ももしかしたら仕向けたのはわたしだったのかもと思った。(人と人との関係でそんな一方的なことはないとは思うのだけど。)どうあれ、自分がふられたようなふりをしつつ、彼女を疎んだのはわたしだったんじゃないか。と思えば、記憶の改竄に参っちゃうね。