紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ことよろ

あいかわらず荒れた部屋で暮らしておりますが、片づけは少しだけ進みました。物を捨てたり動かしたりしている。これが動いたのはくやしいかな、こんまりさんの御本のおかげです。といっても、入信したつもりはなく、思いきる気持ちとメソッドをつまみ食いしただけのつもりです。

2020年、くわしくいえば緊急事態宣言明けから全然ブログ書いてへんやんどうしてんという気持ちである。書かなくても済むようになったというか、忙しすぎたというか、いろいろ理由をつけることは可能だけれど、自分としてはやはりくやしいなぁという気持ちであるのであった。

2020年どうだったかといえば、もう記憶ほぼないわーということなのだけど、買って一番よかったのはたい焼き器やなーという結論です。

 

 

金属バットの痛いファンなので友保と同じブラシを買いました。だいぶよいです。 

 

あと、ヤギにお金を出すクラウドファンディングに金を払いました。2020年は家にいる関係もあってか、クラウドファンディングをいくつか支援したり、肌着(絹の!笑)を買ってみたりしました。メイク落としをダブル洗顔不要のものに変えたら快適すぎて、シャンプートリートメントもシャンプーのみのやつにしました。してしまいました(ドライヤーするときにオイルなりクリームをつかえば問題ないのです!!!)。したらね、めっちゃ楽~!!!!! 生活の手間を減らすことが中年のQOL向上に資すると感じています。どんどん楽していくぞ!!!!!

 

 

帰省はやめておいたのだけど、年越しは実家の方々とZoomで通話をしたりして。しかし、あーやっぱり実家の人たちと話すの苦手だなーという気持ちになってきてあんまりよくないのだった。毎年実家に帰ってはへこんでいたものな。それなのに、Zoomの粋なハカライで複数通話も制限なしにしていただいてやめどきがわからないのだった。

具体的にいえば、あ、なんだ、これ、わたしが、軽んじられている、かんじ、、とか思うのだけど、ふっと、これって認知の歪みではと思ったのだった。

ちょうちょう話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』を少し前に読んで、筆者のいう「彼ら」の多くは認知の歪みがある(からそもそも反省の土俵に立つことが難しい)というところで、ほー大変ですなぁーなんて思っていたのが、このへんに卑屈な感じって、わたしの思考の型のひとつで、かれらがまたは実家の雰囲気が、そのスイッチを入れやすいのではないか、と思ったのだった(家族以外にもなることはあるのだけど、あとから考えて、べつの原因を見つけることがたいていはできるのだ)。これはなんだか、とてもショックで(いい意味でもわるい意味でも)、でももしかしたら、少し楽になるチャンスかもと思ったりもしている。

 

あまり明るい感じの文章には思えないけど、気持ちは暗くなく、なんとかやっていきたいと思えている。という2021年の夜明けだったのだ。生きるのを楽にしていくぞ!! そして、ブログ、もーちょい書きたいですね。そんな。

 

 

ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)