紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


わたしを見る会

まいにち、のことを考えている、毎日。

このめちゃめちゃさがなにも残らないなんて、せつな、せつなく、というかそんなわけなく、この日々にはまちがいなく手ざわりがあると思って、仕事を終えて外に出て、空を見上げたりしながら、それをたしかめている感じ。どう考えても豊かではないが今のところいとおしい疲れなのだった。

ついには年に2度くらいしか顔を出さなくなってしまった会に行き、人数も少ないこともあってか、けっこう自分のことをしゃべった。あんまり会わない人たちと自分の話を交換するの、わたしはけっこう好きだ。あんまり仲良くなりすぎるときびしい。お客様でいたいのかもしれない。とか。でもそもそもわたしの感じ方が変わっている可能性もある。

人が話し、それを確かに聴くということ、当たり前と思う一方で、そうでもない集団や場ももちろんあって、そういうときに自分の言葉を丁寧に聴いてもらえるって思いこんでいるの、傲慢なのかもなという気もする。歳を重ねると機微をつかむ目が粗くなってきて、それはそれで生きやすくなってるともいえるんだけど、若い世代に粗暴と思われるの嫌だなとかも思ってしまう(いやこっちのほうが粗いなりに丁寧なのか?)。そもそもだれもそんなこと気にしていないかもしれないが。

色々かきはじめると自分に拘泥しまくってしまってよくない。歩いているときとかお風呂に入っているときは思考がクリアで自分が利口に思える。今日はケーキを買ってこようと思って忘れてしまった。シュークリームでもミスドでもよかったよなんか甘いもののことを総称してケーキって呼んじゃう粗さ。生クリームの暴力的なとこ。