紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


うまくいえたことがないやいやい

あんまり泣かないけど涙を流すのは簡単だとも思う。音楽を聴いたり、悲しいことを思い出したり、感極まって涙が出たりするけれど、それと感情はべつのことで、健康になるために泣いてるんじゃないかと思ったりする。

どこぞの国では葬儀のときに泣き女がやってきて、亡骸だかひつぎにしがみついてわんわん泣くと、昔なにかで読んだ。

名前を呼んでさようならと思いながら涙が出てきて、彼女に身体をあずけると背中をぽんぽん叩いてくれた。思ったより強かったけれどちょうどよかった。そんな濃厚接触じゃないのこのご時勢に。お元気でと行かないでは両方とも心からの気持ちで、たぶんもう会うこともないんだろうと思うと寂しかった。正しいことはわかっていて、無理をいっていることもわかっていて、演技の自覚もちょっぴりあって、とてもずるいことをした気持ちだった。綺麗に去ってもらうのがおとななんだろうと思いつつ、さらに形式を見せるのは悪いことのようにも思えた。負担になるのとならないの、どっちが負担なのかわからないではないですか。

職場の若い人の最近の口癖を教えてもらって、それは嬉しいときもつらいときも言うらしいのだけど、わたし(たち)にもそういう単語はあるけれど、家人とだけ通じる犬猫的な動物の名称なので言い控えていた。でもその直後に、わたしの心の中の犬が「わんわん!」とあっさり顔をだしてきて、言わなかったことが台無しになった。わたしの中の犬がたまに鳴くんで、よろしくお願いしますと職場の人に紹介した。「こいつです」と犬の絵を描いて渡した。しっぽをたいへんに振っていて善良そうに見えた。