紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


子どもらしい感性

ものづくりと創作は違うと思った。ものづくりは "もの" ありきだけど、創作はどうしてもどこか自分が出てしまう。というか出ないといけないんだと思う。わーーーAIがつくったものは基本的にそれはものなんだーーーたぶんーーーAIががんばりまくる未来にはわたしはなにもがんばらなくていいからAIがんばれーーーと思いそうになるけど、それではいけないという気がしてる。した。している。自分を強く持って!!

昔から変わった歌詞や言い回しなんかを集めていて、そういうものでできていたいと思うけど、それがサブカルっぽさなんだよと思うし自己満足だしなんだかなーーーって感じである。関心がものと自分ばかりで、もしかしたら自分もちょっと怪しいかもしれないし、えらいこっちゃと思って、お化けみたいだった。

 

👻(環境依存文字)

 

どこに行ってもたぶん同じで、でももう若くはないから図々しくやることも前よりは恥ずかしくなくて、その割に内面は幼いから、ずるいしいびつだと思うこともある。ふてぶてしくはやっていけるんだと思う。

 

(お化けの絵文字はあるのに妖怪の絵文字はないね。)

 

その後にがんばって写真を観にいって、大きい写真がたくさんあって、というか写真を引き伸ばして大きくしていて、大きいものってそれだけでずるいんだけど、大きい写真、現実との違いは何だろうか、誰かの意思が含まれている、編集されている。つるつるの紙に印刷された木の肌に見入ってしまう。現実の木をまずまず見ないのに。

夜に近い海岸を撮った写真があって、きらきらの砂が星みたいだと言って、逆さまに眺めている子どもがいた。連れの人々もおもしろがって股の間からのぞいていた。そういうのを子どもらしい感性とかいって、大人は目を細めるなあと思った。

 

お化けや妖怪に対して「人間」があるって思うのがそもそも違うのかもしれないけど。とにかく色がほしいって思った。思いながら歩いた。思いながら歩いて帰った(電車も乗った)。