紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


知らんけど。

大河の『いだてん』をためてしまっていて、少し前のを観たら一回はただただストックホルムへ向かう旅路の回でほっとしてたのだけど、その次の回は四三さんがピエール瀧に手紙を書いて足袋をねだっていて、瀧がまんざらでもなさそうな顔をしていたので、あーーーーーーーーって思った。ピエール瀧に思い入れがあるようなないような気がしていたけど、ともかくあーーーーーーーーってなった。ネットフリックスにまだ『凶悪』があるじゃんと思って観はじめたけど、そうだこれ怖いやつだったと思って早送りばっかりしてて、それなら無理に観なくていいなと思って途中でやめた。『凶悪』一回観てるけど単純に凶悪でピエール瀧リリー・フランキー、こわーって気持ちになる。「やってそう」と「やってる」では自分の感じ方がぜんぜん変わっていた。でも瀧については印象が悪くなったりはしていない(と思う)。iTunesにアルバムが何枚か入っているから聴きたいときに聴いている。

ストックホルムは白夜があって、夜もずっと明るいらしいのだけど、ドラマでは昼間というくらいに明るくて、わたしが想像してたのはぼんやりと朝方の光のようなイメージだったので、印象が違った。ずっと昼間なのと、夜じゅうぼんやりは意味がちがうぞと思って、行ってみたいですねフィンランド。寒いでしょう、といわれたけれど、マイナス10度ですよわっはっはとのことなので(本当か?)、思ったよりは寒くないのかもしれない。

Instagramをながめていると、たくさんの人が人生を売り出していて驚く。恋愛、そのなれそめ、ひどい恋、いじめ、友情、出産、不妊、子育て、不倫、離婚、嫁姑、毒親、移住、異文化カップル、LGBT、エトセトラエトセトラ。ぜんぶ個人の話なのにどれかのカテゴリーに入ってしまう不思議。あ、これら大体がイラストか漫画です。ペットは写真・動画のこともあり、絵のこともある。「この枠組みです」の提示を描く側もするし、読む側も「このジャンルの話」と思って読むみたいです。否定するわけでなく、自分も気がつくと追ってしまっているからね。みんな自分のことを語りたい(そして読みたい)のだねなんて思うわけなんだけど、そういえば自分も数年前に昔の恋人のことを書いていたのだからおんなじだーーーと思ったのでした。まだ読めます。読めていいのか。ひっこめようかな。

ここまでが枕で、そういえばどうしてるなんて遠い噂をきいたりすることもあるのだけど、それが相変わらず嫌な奴ときけば、そっかーと思って、嫌な奴のままであればそれは別れた時の自分を正当化できるぞと思うし、でもこの人(噂を教えてくれる人)は面白がっていってるだけかもしれないなんて思って(でもたぶん、つきあってたこと自体知らないような気がする(けど確認できない))、本当はいい人の面も少しは復活してるんじゃないかなんて思おうとする自分も感じる。仕事が人をおかしくする、というのがマイ理論なので、べつにこっちの路線でも自分のメンツは保たれちゃうんだなーというのは今書いてて思いました。まあ、どうでもいいことなんだけれど。

こんなことをうだうだ書いていて未練があるみたいだけど、そんなことは全然なくて、口に出せるだけ過去のことになっているんだと思う。思える。そろそろ文章以外でもネタにできるんじゃないかという気もしてきているものだから。いやーまー春のせいかもしれないね。