紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


新年会

友達は多くはないがいなくはない。Mとは実家を出て一年目に知り合って、それからつかずはなれず友人である。友人の友人という関係でお互いの存在は知っていた。夏休み前におずおずと話し、休みが明けてから会ったときにどこかへ行く約束をして連絡先を交換した。あの夏、Mはまだわたしのものではなかった。

「話してみたいと思っていた」と言われがちな人生であり、裏返せば話しかけにくい外面を持っていて、わたしはわたしで「友だちになりたい」と思う人たちを得たり得られなかったり草食のような肉食で草陰に身を潜めていた。Mはわたし以外にも友人が多かったが、それでもなんだかんだ十年以上仲良くしているのはわたしだけなのではというささやかな優越を誇ったりしている(見えない相手に)。もう数年たてば人生の半分はこの人とやりとりしているといえる日がくるんだろう。な。くるかな。

毎年忘年会と称して年末に会っているが、今年は新年会までもよおされた。これははじめてのような気がする。回らない回転寿司の、しかもお安い価格帯の店舗に行って、そこがめちゃめちゃチープで邪道だったのでふたりで喜んだ。Mは回転寿司でコーラとポテトを頼みたがるが、それができる店舗はそもそも少ない。その店はその条件を満たしてさらにその他揚げ物や邪道寿司、あげくラーメンも数種類そろえているという寿司屋に怒られるだろうラインナップでわれわれを出迎えた。カリフォルニアロールなんて序の口で、豚肉、鶏肉、カキフライ、ユッケ、チャンジャ、などなんでもシャリの上にのっけた。豚肉の上には濃厚なチーズもかけられて、それはピザポテトの味がした。節操のなさを好きになってしまえばタッチパネル式の注文機のデザインがださくても並べ方が下手で見づらくても愛しくなってしまうものだ。店長おすすめの鶏皮ポン酢を頼んだあと、課長の逸品のコーナーを見つけてしまい、課長とは、と悩む。わいわい堪能しているとあっという間に時間になって追い出されてしまう。デザートとラーメンを頼みそこねる。

それから歩き回って、めったに行かない街を探訪し、アイドル予備軍のイベントに足を止めたりする。あの若い男性たちはみんな本名なんだろうかと考えたりする。まったく思いもかけない会場にいるわたしがいて、ある街ではわたしの好きなイベントもやっていることを知っている。そっちの方が断然好きなのに、わたしはそれを裏切って今ここでまったく知らない人の歌と踊りを見るために立っていることがとても不思議だった。

お目当ての展示を観終わったら、すっかり暗くなっていて、「一風堂って知ってる?」と言われて、知っていると答える。でもよく考えたら一蘭とか天下一品と勘違いしていたかもしれない。ラーメンってあんまり食べない。でもわたし昨日一蘭行ったよ、と言ったので二日連続麺の日となった。

一日歩いて、湯気でほかほかする店内はほかにも客がたくさんいて疲れがやってきた。ぼんやりと時間のなくなるような気がして、そういえばその街でMは働いていたことがあり、よく仕事おわりにみんなで来たんだよねと言った。一風堂は思い出の味だったのだ。あの店はなくなった、この店はまだある、と言いながら、われわれふたりの思い出もかすかにひっかかってはいたが、たぶんそんなことよりMは過去の労働のことを思っていたんだろう。

あの場所にいってあんなことがあったねとか、うっかり終電なくなって一緒に満喫に行ったとか、夜中の1時からはじまった演劇を観てその後寝落ちした午前の電車で何往復もしたとか、レイトショーの映画のあとにサイゼリヤで時間をつぶして始発で帰ったとか、意外と家に帰ってない思い出がたくさんあってしょうもねえなと言いあった。われわれに過去はたくさんあって、現在もここにこうしてあって、未来もあるといいなと思った。目の前で餃子を分け合って、小皿にもやしをいれたり紅ショウガをいれたりしているこの人、ああラブって思ったのがその日のすべてだった。新年会、たまにはいいものだと思った。