紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


秘密をもつ(次数をあげる)

急に。というわけではないけれど、前から決まってはいたのだけれど、でもやっぱり忙しいのであわてて出かける。山に。夏の準備をしに。

soulkitchen.hatenablog.com

(いちおうこれの関連)

苦手な人はわたしが苦手だから向こうも避けてるのかなとかいろいろ考えてはしまうのだけど、たぶんその半分は考えすぎで、ただこれが続くとその考えすぎは現実になってしまうんだろうという気がした。わたしが考えすぎるその横で、ほかの人たちはなにも考えていない様子で無邪気に会話のラリーを続けていた。

コミュニケーションにかんして気づくことはたくさんあって、「コミュ障」であっても、自分が気にしない且つ相手も気にしないのが可能ならばごり押しができて、それで成り立つのがコミュニケーションだという気がした。関わり合いというものは本来ゴツゴツしていて摩擦が起こるのは当然で、円滑にするするとできるものという考え方が新しい宗教のようで、それでかつ「持てる者は強い」の原理でピラミッド構造になっているのではないか。つまり、「コミュニケーション弱者」は「コミュニケーション強者」に搾取される構造に入れられてかつ、自らすすんでそれを強化しているのではないか。コミュ障すなわちコミュ弱ではない。「コミュ弱」はわたしが今つくった言葉。

出立は夜だった。数名で車を乗り合わせて高速道路を走った。道道の電灯が窓ガラスに映って流れる流れるその波に半分目をつむって、ほかの人の声をききながら、かかわらなくていいのならラジオと同じだと愉快だった。楽しいおしゃべりとわたしはそういう関係だった。

「わたしは(こころに)秘密をもつ」と突然ひらめいた。車内のおしゃべりに「壁を立てて」、次数がひとつ上がると思った。

わたし達はなにもない平野に、視界のひらけた土地にみんなで立っている。どこまでも見渡せるし、他の人がどこに立っているかどっちを向いているか、遠くからなにか来ないか、すべてを全員が知ることができる。さえぎるものはない。これが一次元目だ。

でも実際の人間関係は平らでおおらかなものではなくて、自分を見せたり見せなかったり、特定の人に見せたり見たもののことをしゃべったり、都合のいいように自分の周りに囲いをつくる部屋をつくる(四方ぜんぶ囲むとだれともかかわれないから、どこかはあけてあるイメージ)。迷路が近いのかもしれない。見渡せるのは神だけだ。っていうのが二次元以上。見渡せる存在を仮定すれば次元はどんどん上がる。

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photo by anvilon

 

このイメージは仕事中に思いついたのだけど、真っ平らな面だけでは深い組織にはならなくて、秘密(というと言葉が悪いのかもだけど)を内包するのが強い組織の条件なんじゃないだろうか。それを見渡せるのがいい上司、なのか。これはわたしの仮説。(そして次元を上げると「物語」が見える(気がする)から、わたしは神の視点がほしいなぁとあがくのだ。)なんだかゲームみたいだな。囲碁とか将棋とか。

というのは少し話が違うだろうか。しかし自分の中でつながったので。無理に一番最初の面でつきあう必要はなくて、テクニックを使っていいのだ。つらくない方法をさがすのだぜ、という。ことだった。

二泊三日を終えて帰宅して、同居人と話をしていたら最終的に「海鮮系料理の汁を集めて消火活動につかう」という話になっており、いつも打ち返しているのがこれだから、他人とコミュニケーションがとれないのではないかという気がした。変化球対応ばかりしているから、普通の球が打てないのだ。考えすぎと練習不足が問題。なのでは。まあでも問題点がわかればどうにかなりますからね。どうにでもできますからね。というところで筆をおく。気づけば六月になっている。