わたしのことだけだれもしらない
全員顔見知りなのではというくらいの小さな会場でのライヴが多い。今は机と椅子が出ているけれど、立ち見だったら80人くらいはいられるかしら。酸欠になりそう。ステージはほんのちょっと高いだけでだれでも乗り越えられて、いったら此岸と彼岸の物理的障壁は小さいがそこを越えるものはめったにいない。みんなおりこうさんだね。先ほどまで客席にいたヴォーカルが律儀に上手の扉から出てきて機材をセットしはじめた。これが噂のリッケンバッカー!
有名でないこと、バンド名が一般名詞かつ同じ名前の名所があるがため(そこからとったんだろうけど)、くわえて本人たちの意識の低さによってかインターネット上にきわめて情報の見つからない(まるっきりない、のかも)バンドをみる。わたしがなんでそこにいるのかといえば、ヴォーカルがセンセーだから、ということに尽きる。対バンももちろん同程度の知名度か、しかし検索すれば情報は出るのかもしれないし、オンリーワンの個性を願ったのかもしれないバンド名だったりした。
演者の顔がわかるくらいのライヴばかりなので、千人くらいの会場にいくと驚く。ステージ上の数名をみるためにこんなに人があつまり、スタッフも物販も何十人と動いている。物理的にも経済的にも人を動かしている。これはもうイベントだよね。昔にドームツアー的なののチケットをとったこともあったけど、お金を払うはずのセブンイレブンで足がすくんでやめてしまった。何万人もでステージ上を動き回る点をみるのだ。でもその姿は大きな画面に映し出されるぞ。音楽だって最高のスピーカーががんがんに声を届けるんだぜっていうのはわかるけど、なんか魔法だなと思って一歩ひいてしまう。大勢をいい気持ちにさせるための魔法を想像するとわたしには過剰な気がしてしまうんだった。
そうそれで、わたしがみたバンドのみなさまはどれも上手でいらっしゃって、高校生のコピーバンドとは一線を画し、上手ならば有名になれるかというとたぶん違って(有名になりたいかどうかというのもあろうけれど)、続けてる人だけが続けられるみたいな言葉遊びを体現しつつ、そういえばドラマの『カルテット』の演奏はうまいのか問題みたいな話をオーケストラ経験者と話したときのことを思い出したりして(うまかったかどうかは最終回でえがかれましたが)、三十半ばすぎて妻子が客席にいたり、隠しきれない腹部の丸みを揺らしながら跳ねまわるなんて、十代のわたしには思いもつかないバンドマン像(ゾウ🐘の絵文字が変換で出たのでご報告申し上げますね)。やっぱり若い人って、若い。
一番目のバンドはなにかに似ていて、
二番目のバンドはそれをいなすような上の世代に似ていて、
その次のバンドはなににも似ていなかったけど、曲が全部自分たちの曲に似ていた
空気が熱くなってきたのでそのまま帰る。わたしのことだけ誰も知らない。