紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ウーマン

エモいとエモもやっぱり違うよねとか考えながら月例の業務が終わらなくて椅子の上で体育座りしたりしている。もぞもぞ。

夕方4時を過ぎたあたりで空が白くなってきたのが窓から見えて、青色が薄くなってくるのは朝の光に似ているなんて目を細めてみるのだけど、5時に近づくにつれてとっぷりと真っ黒になっていて日の暮れる速さに気が遠くなる。もうよほど夜の気分でいたけどそれもたった一時間前のことだった。

なんというか、過去の時間を宥めて撫でて束にして、はたまた割いて、というような作業である。過去の時間はぐったりとしていて死体みたいなものだから、なされるがままにしている。われわれはそれに名前を付けて大事にしたり踏みつけにしたりして生きているのであった。

職場は遠くなるばかりで、最近は遠い駅まで歩くようになった。歩くのは苦ではない。遅刻しちゃうけど。だってそうしないとどうにもできないからそうしている。歩いている間にいろんなことを考えて、しかし書きためることもなく流している。スマートフォンで文章をかくの、いまだに苦手なのだった。ぎゅっと画面に集中して、前後が入ってこなくなるの、いいのだけど疲れてしまう。PCで、もしくは手帳にメモしていく方が好きだ。なので思いつきを流していく。さらさら。しかしtwitterだけはいいね。メモにしてこれもタイムラインに流れていく。さらさら。

通勤の時間が飛躍的に延びた一方で、それ以外の時間は圧迫されるのだから、家に帰って食事をし身づくろいをして眠る、起きて食事をとり身づくろいをして出かける。小学生くらいで書かされた一日を円グラフにする感じのを思い浮かべる。無駄と言い切ってしまいたい時間、移動、仕事が膨張していく。じわじわ。そんな時間のサンドウィッチを食べられるでもなくむしろその具がわたくしみたいな感じでやっぱりロボットになったみたいに生きて歩いて動く。本当は感情のあるロボットがほしいんだよね、とか思ったりしまう。そうした中で、同居人がいることが、ただ息をして動いてくれているだけが、だいぶ救いになっているという気がしている。

着想として、さらさらと金色の滝が流れ出していて、その真ん中に杭を打って、流れがふたつになり、半分ずつ、あちら側のわたしとこちら側のわたしの時間であって、二度と合うことはないのであった。さて巨大な心臓は赤くはなかった。というような夢想が浮かんで、はてさてはてさて。