紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ワクチン接種(2回目)

ということははや3週間。

前回のエントリ後にある日記を読んで、自分の気のきかなさを恥じた。健康ゆえに、医師に確認することなんてないじゃないかという決めつけをしたようであった。制度として緩衝材としての医師に質問できる余地が必要というのはわかっていたつもりが、それ以上の想像力がおよんでいなかったことを。恥じたところで、そしてこのエントリだって暴力的でありうるということは感じながら、それでも書かずにはいられないのだった。

前回より所定の日数が経過し、今度は仕事を早引けして会場に向かう。行きのバスでヒナ氏は生返事のヒナ氏になって(たまになる)、感じわるーと思った。でも、自身の全部に返答があると思うのは不遜だとも思うけれどもなんだかそんな気分になった(まあでもいいのです)。前回同様、たい焼き屋さんはあいてなくて、その隣にあるカレー屋では昔食事をしたことがあったけど、そのときわたしだけ水が供されなかったこと、いつまでも言いつづけてしまう、のを笑われる。ほかの店でも丸ごと(そのときは友人とふたりで)何もされなくて、「あたしらは幽霊かーい」と小声で言いながら退店したことが思い出される(めちゃくちゃ忙しそうなお店でしたが)。付記しておくと、カレー屋だって高級店ってわけではないのだし、わかってるつもりなのだけど、記憶が塗り替えられないかぎりずっと言いつづけてしまうだろう。とにかく、自分だけ忘れられることあるんだよなーという感じ。

それで、会場について、ヒナ氏はばしーっと問診票を出して案内されていたのだけど、うしろをうろちょろしていたわたしはなぜかやっぱり無視されてぽつねんした。ので、やはり悲しくなり、ここで帰ってやろうかという気持ちになるくらいめげるのですが(非社交的人間)、なんやかんやありまして、なんとか案内されることができた。接種についてはやはりスムーズで、「質問はありますか」にももう割り切って「ないです」と答えた。わたしは、ないのだ。

今回はふたりとも昼食がまだだったから、近くの食堂で食事をした。あのカレー屋で記憶をぬりかえることはせず、でもヒナ氏はカレーを、わたしはハンバーグを食べた。席には透けないプラスチックの高い衝立がたっていて、孤食で黙食だった。食べ終わっているのかもわからない。それからまたバスに乗るために帰っていると、たい焼き屋のシャッターが少し開いて「準備中」の札が出ていて、えええってなって、たい焼き買うぞ宣言をし、たい焼き屋があくまでの間、そのあたりをぶらつく許可を得た(ひとりで買うから帰ってくれともいったのだが了承されなかった)。それで駅ビルの本屋に行ったのだけど、めっきり本屋に行く回数が減ったのと、その本屋に行き慣れてなさすぎて、うろうろするだけで終わってしまった。本屋を楽しむには日ごろの礼参が重要だとわかった。ところでたい焼き屋に戻り、見事に開店したのでしめしめと4種類注文した。ここのたい焼き屋は種類が豊富なのと、少し小さいがお値段がお安いのであった。

そして、話は接種の翌日になりますが、見事に熱が出て一日苦しみ、翌々日も熱は多少下がったものの頭痛がひどくまっすぐ立てなかったのでもう一日休み、その次の日はなんとか平常に戻ったのでした。まあそんな苦しんだ記録は不要でしょうという判断をして。ふだん健康ゆえに、副反応とはいえ体調激悪になると、たいへん不安になる。ポカリスウェットとウィダーインゼリーと蒟蒻畑に救われました。あとカロナールに。マジでサンキュー、なかったらもっと苦しんでいたはず。

なんだかこの日記は、健康<たい焼き<カレー<無視される<接種>無視される>カレー>たい焼き>健康ではさめた感じがあって、自分なりに伊坂幸太郎なんですがどうですかね。ぜんぜんですかね(よく考えたら本当は「無視される」が連続してますね……)。

ワクチン接種(1回目)

ワクチン接種に行った。一回目。ずらそうかという案もあったけど、同居人と同じ日時に予約をとって、連れ立って行った。自宅から二番目に近い駅までバスで行き、そこから5分程度歩く。駅の階段を降りたところにたい焼き屋さんがあって、大きくはないけど安くておいしくて種類豊富なんだけど、そこでおやつを買うことを楽しみにしていたのに、開いていなくてがっかりした。がっかりしたまま接種会場に行った。それだけが楽しみだったのにとぐちぐちいった。セブンイレブンの隣の隣に新しいセブンイレブンができていて、理由はわからないけどとりあえず、ヒェー、資本、と思った。ヒェー、資本。

家で問診票を書くときに体温を計り、会場の入り口で体温を計り、出迎えの人の確認をすませて案内されるところでも体温を計り、問診票が係の人の手に渡ったところでもう一度、計られた。最近のわたしたちはあらゆるところで熱を計り、計られ、液体なりねとっとした液体なりを手指になすっている。これはかつてない状況である。し、あんまり意味はないかもしれないと思う。たくさんの人がよくわからないコントに出演させられている。ま、社会ってそういうもんかもしれないけれど。とわかったようなことを。

そのあとはスムーズに、あれよあれよと何人もの案内と手招きによって、医師のもとにたどりついた。「接種について医師に確認しておきたいこと、不安なことはありますか」の問いにどう応じればいいのか朝からずっと悩んでいたけれど、答えはでないままだった。何をいってもなだめられる気しかしない。疑問はあるが、なだめられたいわけではない。まして、希望者のみが受けるのだから、疑義があるなら打たなくてよいのだ(話はずれるが、注射、という点において、ワクチンをうつ、のうつ、は射つ、だろうと思うのだけど、この字は射るのイメージが強くて、読めないので使われていないんだろうなとか思う。ほんとうかどうかはしらべていない)。

この問いについて、同居人は「5Gにつながるかをきいたら」とかいっていて、なんだかそのレベルの話であればきいてもいいように思うが別の問題が浮上するよなという気しかしない。

けっきょく、うすら笑いとうなずきのみで医師のもとにたどりついたわけだけど、壁の方を向いて腕を差し出したところで、正気に返り、なんてことをしているのだという気持ちになった。そこまでは現実感がなくふわふわと身をゆだねていたのがここへきて急に、自分の健康に直結する場面なのだと感じられて、ちょっと待ってちょっと待って帰りたいという心境がやってきた。そこまでは木偶の坊だったわたしが、ここではじめて意思を持ったのだが、時すでに遅し、腕に痛みを感じ、「はい終わりました」の声がきこえた。

そのまま15分程度待機して、何事もなかったので帰宅する。3週間後には一緒に待機していた人とまた会えると思うと少し笑える。たい焼き屋はしまっているので、ふだんは行かないスーパーでおやつを買って帰った。

帰る途中で、陰謀論の話になって、でもなんかそれって、その人にとって信じられる(信じたい)部分からうまれてくるのだろうから、いまの(そのときの)わたしが陰謀論を信じるとしたら「本当はワクチンはない」っていう方向じゃないかみたいなあほな話をした。針はさされたけど、なにも注してはいないのだ。ただ、世界的に「ワクチンはある」ということになっている……。針がささったのはわかったけど、薬液が入ってきた感覚はなかったし、その時点ではなんの痛みも不調もなかった。ワクチンが存在し、接種したことは副反応があって、遡及的に確信されるんじゃないかと思った。というのんきな話をした。