紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


二時間だけのバカンス

来週がクリスマスで再来週が新年だったのでわーーーーーってなる。なってる。

 

高校の時分の友人に久しぶりに会い、一年半ぶりの再会の三時間。彼女は少し前に結婚していて、なんか変な感じになるかなとか危惧していたのだけど、全然変わっていなかった。少なくともわたしにはそう見えた。変わってしまうのも寂しいけれど、変わらなければそれはそれで不安に思うのだからニンゲンってゼイタク!!! だった。

 

最近の友達運動にもかかわってくるのだけれど、「なかなか会えないけど、遊びましょうネ!!」なんて言っているうちに人生は終わってしまうので、一歩踏み出してみた会ではあったけれど、近況をきいていると忙しすぎて人に会う余裕などない時期があり、それはわたしもそうで、各々の余裕が合わないと会えないということがわかった。会えないのは口だけ説(ひどい説だな)以外にも考える余地がありそうだった。うーん、なかなか。

未来からデータ

今年、あと半月になってしまってやばくない? でもまだ二十四分の一残ってると考えると妥当な気もする。ふだんは気にもしていないけれど、データ、っていうかWi-Fiとかのことを考えるとふしぎな気持ちになる。まず無線ってなんだよって思う。昔は(というか今だって残っているけど)有線で、それだってずっと前は電話回線だった。黒電話のアナログをアナログと笑えない感じで昔のインターネットはピーヒョロと奇妙な音を立てて線の中をつたっていった。0と1だったのかなあ。とにかくそれは「ある」感じがあった。送り、返ってくる。繰り返し。が実感を持ってあった。めちゃくちゃ遅かったし。多くの人が語っていることではあるけれど、ADSLとか光とか、めちゃくちゃ早くなった。あの音もいつか聴こえなくなった。ただ、つながってはいた。この線の中でなにかが起きているんだろう。それも気にならなくなって、電源ケーブルと同じように、「つながっていないといけない」線ではあったかもしれないけれど、意識にはのぼらなくなった。でも、それが、いまや。無線である。コンピュータからは余計な線は出ていない。マウスもキーボードも出かけてしまった。しかしどこからか指示は届く。アンテナすらない。どこから送っているのか、どこで受信しているのか。空気中をつたわっているのだろうと想像はする。でもそしたらいろんな情報がわたしたちの肉体にもぶつかっているってこと? 腹にYouTubeが映し出され、足の指ひとつ間違えて動かしてしまってのネットショッピング、だれかのブログが脳内に流れ込んでくる、みたいなこと起こらないとは言い切れなくない? でもそれも0と1で、交通整理するやつがいなかったら通り過ぎていっちゃうだけなのかなあ。なんていうこと、ブラウザの下に並べたダウンロードのアイコンが左から、残り9分(あ、10分になり、今8分、あ、11分……)、残り5時間(あ、4時間、3時間)、残り2時間(あ、3時間、やっぱり7時間を経ての5時間4時間5時間)、残り2時間、、安定しない君たちを前に先生は、でもデータは何処から来てるんだろうなって考えてる。やっぱり未来からかなあ。