紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


あらがえない

soulkitchen.hatenablog.com

 

最前のようにたとえば一日寝てしまった日があって(気圧の低下で眠くて、ってことだけど)、寝つぶしたと思い、わたしの人生が一ミリも進まなかったとか考えてしまう。でもそんな、進むべきものが、というか、人生って進むものなのかという疑問が生じる。何かを為しえた(ように思う)日と何も為さなかった(ように思う)日をならべ、重みづけをし、価値づけるのは傲慢な気がする。しかしそれでも一ミリでも進めたい(進みたい)と思ってしまうのは、人間の成長とでもいうような褒められるべき(この言い方もどうなのか)ことなのか、それ自体が"成長”病とでもいうべきような誤った価値観なのではないか。

というような狭間を考えはじめることによって、またわたしの人生が一ミリも進まない日ができあがってしまう。振り返ってみれば無意味ではないのだろうが。けっきょく、そんなことを考えないで邁進していくことが、ほんとうは最善のような気がしている。しかしその側にはいけそうもなく、逡巡しながら、"人生を進める"手を考えている。考えるな、手を動かせ、とも思うのだけど。

あらがわない

なんらかのネジまたはスウィッチが壊れているのかはたまた最初からないのか、ものごとに逆らおうという気概がない。これは現代人である以上、由々しき問題なのであーるー。つまり、眠たいときは寝てしまおう、嫌なことがあったら仕事なんぞやめてしまおう、四肢を脱力させたままで出来ることだけやって、出来ないことはやらない。力の入れ方を忘れてしまって筋肉は数年弛緩しかしておらない。というような状態で、流れる身体がひっかかったこの岩が乗り越えるべきなのか(向きを少し変えればいいのかもしれない)わからなくなっているなぁと思ってみる。

どうにも眠い日がつづき体調不良、または精神の乱れなどと思ってみて、思い浮かぶことがいくつかあり、たとえばバイオリズム、月のもの、寝不足、ストレス等々あげてみて、最近それにくわわりたるのが気象病。気圧が下がると体調が、、というやつで、眉唾でいたものの専用のアプリケーションで記録してみると体調不良とみごとに一致。断言はできないけれど、ここ数年の(もしかしたら生まれてからずっとなのかも)体調の悩みって半分以上、こやつが原因だったのかもしれず、肉体の衰えもしくはストレス環境について憂いていたのが片付くかもしれない魔法の呪文は「キアツノテイカ」。体調がよくないのは変わらないけれど、その原因が外部にあるというだけで気も楽になるのであった。そういえば、信じられないくらい気分が良い日というのもあって(そういう日のブログは上機嫌でうかれている)、それもたぶん気圧の影響で好調なのであろう。わたしの膜は薄く、肉体は単純なのであった。