紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


納豆とほうれん草とわたし達

ことのおこりは春ごろに、実家に帰ったときのこと。歳を重ねた母親が晩のおかずにとりだしたるは納豆にほうれん草をまぜたもの。食をあずかる人間も育てる人がいなければ、かくも手抜きの時短料理。とはいえど、納豆と茹でほうれん草のハーモニー、味の予想は簡単で、さらに期待通りの味のする外れのなかったことだった。

というようなことがあり、この簡単な一品が非常に気にいりわたくしが我が家の夕餉に饗すると、同居人ことやれヒナ氏、こともなさげに食べいたる。きけばヒナ氏の実家でも、納豆となにかで一品とすることが常態であったそう。ほうれん草は初めてとめづらしがっていたけれど、ほかにもこんな組み合わせ、いろいろ教えてくりゃさって、納豆の日がはじまった。

されど世の中そんな人たちばかりなく、納豆とほうれん草の合同をヤア奇っ怪と叩き斬り、魑魅魍魎が魍魎跋扈と気色ばむ、世の人々のあな心のせまいこと。納豆とほうれん草とわたし達、世の隅で肩寄せ合ってただけなのに。さらに奇妙なことだけど、その人たちが納豆にトマトを入れるとか言って、そっちの方が有難いあってはならぬことじゃない? 一方的に決めつけは悪いと思ってやるけれど、納豆トマト、するすると食べる感じはなしじゃない。こちらの許容範囲だけやたらと広がる夏のこと。

そしてこのNATTO戦争に新たなる一石投じる者があり、派手な化粧俺と決闘、夏のパッション、ペイアテンション、これやこの行くも帰るもわかれては知るも知らぬも納豆サンド!(サンド!) 西洋の焼いた小麦に挟まれて飛び出しきたる新顔に、さすがに言葉は失われ、しかし挑戦してみるが心の広いわたしのつとめ(そうだろう?)。即断できずにうっちゃっておいてはいるがそのうちにやってみるよと嗚呼嘆息。

それにつけても納豆とその仲間たちの活躍を見守り広げていくことが、わたしのつとめとなったのだった。知るも知らぬも納豆の関。

 

  *納豆が苦手な方にはすみません。

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